
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
いでや、この世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ
御門の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやんごとなき。一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など賜はるきはは、ゆゆしと見ゆ。その子うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより下つかたは、ほどにつけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。
法師ばかり羨ましからぬものはあらじ。「人には木の端のやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。いきほひまうにののしりたるにつけて、いみじとはみえず、増賀ひじりの言ひけんやうに、名聞くるしく、仏の御教にたがふらんとぞおぼゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん
人は、かたち、ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ。
ものうち言ひたる、聞きにくからず、愛敬ありて言葉多からぬこそ、飽かず向はまほしけれ。
めでたしと見る人の、心劣りせらるる本性見えんこそ、口をしかるべけれ。しな、かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん。
かたち、心ざまよき人も、才なくなりぬれば、しなくだり、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、本意なきわざなれ。ありたき事は、まことしき文の道、作文、和歌、管絃の道、又有職に、公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走りがき、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ男はよけれ。
翻訳
さて、人たるものひと度この世に生まれ落ちた暁には、こうありたいものだと願うことがあまりにも多いように見受けられるのだがどうだろう。
天皇の位はとてつもなく畏れ多いものであり、その末末子子孫孫に至るまで神の血を引いていることが何にもまして尊い。
摂関家の方々のありようももちろんのこと。そこまででもない貴族たちの中でも、舎人の位を賜るほどの身分であれば、充分にご立派であられる。
そのご子孫の代にいたっては落ちぶれたりもするけれど、やはり由緒は隠せない。さらにそれ以下の人たち、彼らも分相応に、それなりに出世はするものの、何を勘違いしたのか、すっかりひとかどの者ぶった立ち居振いをするのを見ては、とうてい褒められたものではない。
坊主ほど羨ましがられない立場もそうないんじゃなかろうか。周りの皆には木っ端のように思われてるのにねぇ、と清少納言も書き残しているが、しごくごもっともである。高位に昇った坊主が声高に威張り散らしているのを目にするたび、かえってみっともないと思ってしまう、その手合いの坊主は、増賀上人が仰られたとかいう、出世欲や外聞ばかりに気を取られ、まったくもって仏さまのお教えに背いてしまっていると思わざるをえない。もっとも世を捨て仏道に専念しているような人の中には、かえってこうありたいと願う姿もないわけではない。
人は容姿容貌が美しいことこそ最も望ましいありようなのだ。ひと言ふた言口にした場合も、聞き取りにくいなどということはなく、愛すべき点が多々あり、それでいて口数は決して多くはない。こういう人こそ時の経つのを忘れて談笑し末長くお付き合いしたいものである。一方で、あ、この人なかなかいいなと思っていた人の、思ってもいなかった下品な本性がつい見えてしまうことほど、口惜しいことはない。品格とか外見はこれはもう生まれもってのものだけれど、ならばせめて心くらい磨きに磨いてよき方向にむけてゆくことが出来ないものだろうか。とは云うものの、容貌に優れ、心映えの立派な人であっても、授かったものを疎かにし彫琢を怠っているうちに品位を失い、下卑た顔付きの輩と交わっているうちに、そういった者共の悪影響を受け、たちまちのうちに彼らと同列に成り下がってしまうのは、やんぬるかなとしか云いようがない。
人としての理想形は、王道の学問たる漢学を修め、漢詩文を作り、和歌、管弦に秀で、同時に有職故実に明るく、人の手本となることに尽きる。ちょっとした字を書いてもみっともなくない書きようで、通りのよい声で音楽に合わせて調子を取り、すすめられた盃に困った顔をしながら、かと云ってまったくの下戸ではない、これぞ好ましい男子と云うべきであろう。
註釈
ここで云う舎人(とねり)とは、定員90人の天皇、皇族の付き人内舎人(うちとねり)のこと。三位以上の上流貴族の子弟は21歳になるとほぼ自動的に内舎人として出仕し、五位以上の中流貴族の子供でも、容姿に優れ(ここ大事!)優秀であれば、選考を経て(ここも大事)内舎人になることが出来ました。
この第一段を読むだけでも、「徒然草」を繙いた意味があります。
若書きでしょうか、兼好法師お得意の皮肉や悪口はまだ芽吹いたばかりといったところ。
これ、約600年くらい前の文章ですからね。
今でも充分通用しますよ。てかむしろ、ここで云い尽くされてますね。人としてあるべき姿は。