
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
名利につかはれて、しづかなるいとまなく、一生を苦むるこそおろかなれ。財多ければ身を守るにまどし。害を買い、累を招くなかだちなり。身ののちには金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらるべき。おろかなる人の目を喜ばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉のかざりも、心あらむ人は、うたて、おろかなりとぞ見るべき。金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利にまどふは、すぐれておろかなる人なり。
うづもれぬ名を長き世に残さむこそ、あらはほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。おろかにつたなき人も、家に生れ時にあへば、高き位に昇り、おごりを極むるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから賤しき位にをり、時にあはずしてやみぬる、また多し。ひとへに高き官、位をのぞむも、次におろかなり。智慧と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞を喜ぶなり。ほむる人、そしる人、ともに世にとどまらず。傳へ聞かむ人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られむことを願はむ。誉はまた毀りの本なり。身の後の名残りてさらに益なし。是を願ふも、次におろかなり。
但し、しひて智をもとめ、賢を願ふ人のためにいはば、智慧出でては偽あり、才能は煩悩の増長せるなり。傳へて聞き、学びて知るは真の智にあらず。いかなるをか智といふべき。可不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り誰か傳へむ。是れ徳をかくし愚をまもるにはあらず。もとより賢愚得失の境にをらざればなり。
迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくのごとし。萬事は皆非なり。いふに足らず願ふにたらず。
翻訳
名声や利益に追いたてられるようにこき使われて、心休まる時もなく、一生を苦しみ抜いて暮らすのは愚の骨頂だ。なまじ財産があると、我が身を守ることが疎かになる。それどころか、害を引き寄せ、煩いを招く媒とさえなってしまう。仮に死んだ後、北斗七星が支えられるほどの黄金を積み上げたとしても、遺された者たちにとっては煩いとなるばかりだろう。愚か者たちの目を楽しませるあれこれも、またとるに足りないものばかり。大きな車、肥えた馬、金玉の飾り等、心ある人ならああくだらんと目もくれないだろう。黄金なんてもんは山に捨て、玉は淵に投げ込むのがいいんだ。利益に惑うのは、極め付きの大莫迦者だ。
方や不朽の名声を後世に残すことは、理想とされてしかるべきだが、位も身分も高い人が、一人残らず人として優れているとは云いがたい。愚かでつまらぬ人でも、家柄に恵まれ、時節の追い風があれば、高位に昇り奢りを極めることなきにしもあらず。太古より抜きん出た賢人聖人たちの中には、望んで賤しい位に留まり、時を得ずして亡くなった者もまた数多い。詰まるところ、ひたすら高い官位を望むことは、利益を追い求めることに次いで愚かしいことなのだ。智恵と心だけは、せめて優れていたと誉として残したいものであるが、つらつら考えるに、名誉を重んじることはすなわち外聞を気にし、世間の評判に一喜一憂することに他ならない。褒める者も貶す者も、ともに長らくこの世に留まっているものでもなく、名声を後後語り継ぐ人もまた瞬く間に姿を消す。誰に恥じ、誰に知られることを願うのか。そもそも誰かに褒められることは他の誰かに貶められること、その大本なのだ。死後の名声なんぞ、何ほどのものでもない。よって、名声名誉を願うことも、高位高官を望むことの次にくる愚行だ。
但し、それでも強く智を求め、賢を願う人に云うべきことがあるとしたら、智恵が現れればそこには偽りが生じ、所詮才能なんてものは煩悩が増長増幅したものだということだ。人から聞いた耳学問、書籍から知り得た知識は、真の智恵ではない。では何をもって智と云うか。その問いに誰が答えられよう。可だの不可だのは、実は同根。何をもって善と云うか。真に辿り着いた人は、智もなければ徳もなく、功も名もない。誰が知り、誰が後の世に伝えると云うのか。かような人たちは、わざと徳を隠し、愚を守っているわけではない。そもそも彼等は賢愚得失の境地におらず、超越してしまっているがゆえにまったく人目につかないのである。
迷いを持ちながら名聞や利益を追及し続けるなら、実状はこうだと云っておく。ありとあらゆることは偽りであり仮りそめ。口にするほどのものでもないし、願うほどのことではない。
註釈
○まどし
貪し。不充分。疎か。
「徒然草」前半部の白眉とも云える段。
大学時代に読んで痺れまくりました。
今読むと、老荘思想の影響もろ受けで、やたら大上段に振りかぶり、意余って言葉足らずのようなところもあるんですが、そこがまたいいんだなぁ。哲学なんてもんは熱く語るものと相場が決まっています。
名こそ惜しけれの時代に、よくぞここまで喝破したもんですよ。