【徒然草 現代語訳】第三十段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

人のなきあとばかり悲しきはなし。
中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしくせばき所にあまたあひゐて、後のわざどもいとなみあへる、心あわたたし。日かずのはやく過ぐる程ぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、たがひにいふこともなく、我かしこげに物ひきしたため、散りぢりに行きあかれぬ。もとのすみかに帰りてぞ、更に悲しきことは多かるべき。しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞなどいへるこそ、かばかりのなかに何かはと、人の心はなほうたておぼゆれ。

年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しといへることなれば、さはいへど、そのきはばかりは覚えぬにや、よしなしごといひてうちも笑ひぬ。骸はけうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかりまうでつつ見れば、程なく卒塔婆も苔むし、木の葉ふりうづみて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

思ひ出でてしのぶ人あらむほどこそあらめ、そもまた程なくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人はあはれと見るべきを、はては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪にくだかれ、古き墳はすかれて田となりぬ。そのかただになくなりぬるぞ悲しき。

翻訳

誰であれ、人が亡くなった後くらい胸締めつけられるものはない。
四十九日の間、山里の寺などに身を寄せ、不便で狭い一箇所に集まって居合わせ、粛々と法事を営みつづけているのは、心慌ただしいもの。その間の日々の過ぎ去る速さといったら、比べるものとてないほどだ。いよいよ四十九日目となり、情けないことにお互い口すらきかず、我がちにしかつめらしく諸々を片付け、散り散りになってしまう。自宅に戻ってからの方が、いっそう悲しみが募るだろうに。しかじかの事は、いけないいけない、後後のために不吉だから呉々も忌むように、などと云っているのを耳にすると、残された者のため?この人ほんとうに悲しんでいるんだろうか、こういう時に人の底の浅さいやらしさがはからずも露呈するのが情けない。

年月が経っても、故人をすっかり忘れてしまうことなどあろうはずもないが、去る者日々に疎しと云われるように、そうは云ってもやはり亡くなった当座の悲しみほどには感じられなくなり、ふとしたはずみで冗談なども云い合い笑ったりすることもある。亡骸は、人気のない山中に埋葬し、命日くらいにしか詣でないでいるうちに、卒塔婆も苔むし、枯葉に埋もれ、やがては夕の嵐や宵の月くらいしか訪ねるものとてなくなってしまう。

故人を偲ぶ人が存命なうちはまだいいが、彼等も間もなくこの世を去り、伝え聞くだけとなった子孫たちは、亡き人の思い出話を聞かされても、果たしてしみじみとするだろうか。そんなわけだから、後日の墓参すら絶えてしまうと、どこの誰それということすら判らなくなり、それでも草萌える春になれば心ある人はしんみりすることもあるかもしれないが、嵐に咽ぶ松ですら千年を待たずに砕かれ薪となり、古い墓は鋤かれて田となってしまう。こうして終いには、墓も跡形もなく消え失せてしまう、悲しいねぇ。

註釈

○中陰

四十九日のこと。中有とも。


大学受験の参考書によく採られる有名な段ですね。

点景のように描かれた、したり顔であれもダメそれもダメとのたまう御仁には、今もことあるごとにあちこちでお目にかかります。
人が死んだ後の悲しみにかこつけて、この人物(たぶんモデルがいたんでしょう)を書き残したかったんじゃないかと勘繰られるほど、兼好法師の人間観察眼が冴える段です。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です