【徒然草 現代語訳】第二十七段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

御國ゆづりの節会行はれて、剣、璽、内侍所わたし奉らる程こそ、限りなう心ぼそけれ。
新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや、

殿もりのとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく

今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かかる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

翻訳

御譲位の節会が執り行われ、宝剣、神璽、宝鏡の三種の神器をお渡し奉る時は、身の置き所もないほど心細くなる。
新院が御退位なされた春に、このような歌をお詠みになられたとか、

主殿寮の下役たちもこちらはもはやと構わずぞんざいに扱うものだから、掃き清められていない庭はすっかり辺り一面花が散り敷いておるよ

新帝の御即位にまつわる公務の繁雑さにかまけかこつけ、上皇の御所に参上する者とていないのは寂しい限りだ。こういう折にこそ、人の本性が剥き出しになるんだろうな。

註釈

○新院
天皇が譲位なされた際、その時点ですでに上皇がおいでになる場合は、新たに上皇になられた方を新院、以前からの上皇を本院と呼ぶ。この段の新院は花園上皇。本院は後伏見上皇ならびに後宇多上皇。


一読さらっと書かれているように感じられますが、花園上皇に位を譲られた方、つまり新帝が後醍醐天皇であったことを知れば、そこは抑えた筆致と見るべきでしょう。
鎌倉時代も大詰め、宮廷はこの譲位を機に、一気に打倒鎌倉へと舵を切ってゆきます。
花園天皇は、学問を好まれ、歌、書にも優れた信心深い文人天皇でした。

新たな時代の到来と変わらぬ人の愚かしさを鮮やかに切り取った、同時代人の証言とも云うべき段です。


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