
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
衰へたる末の世とはいへど、なほ九重の神さびたる有様こそ、世づかずめでたきものなれ。
露臺、朝餉、何殿、何門などは、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。陳に夜の設せよといふこそいみじけれ。夜御殿をば、かいともしとうよなどいふ、又めでたし。上卿の、陳にて事行へるさまは更なり、諸司の下人どもの、したりがほになれたるもをかし。さばかり寒き夜もすがら、ここかしこに眠り居たるこそをかしけれ。内侍所の御鈴のおとは、めでたく優なるものなりとぞ、徳大寺太政大臣は仰せられける。
翻訳
荒み衰えた末法の世とはいうものの、やはり宮城の神々しいありようだけは、俗世から隔絶されたありがたさである。
露臺、朝餉、何殿、何門等等、耳にするだけで心が晴れ晴れとなる。下々の家にも当然あるであろう小蔀、小板敷、高遣戸といったものも、宮中にあるというだけでまったくの別物という気がする。「陳に夜の設けせよ(諸卿の座に火を灯せ)」、という言葉の響きなぞうっとりするではないか。一方で、宵の御殿では、「かいともしとうよ(急ぎ油火を)」、と云ったりする、これまた惚れ惚れする。公卿たちが各々の座で公事をさばいている姿は云うに及ばず、下級の役人たちがしたり顔でてきぱきと仕事をこなしている様子も見栄えがいい。かなり寒い冬の行事で、夜、彼等がついうとうとと居眠りしているのさえ、場所が場所だけに微笑ましい。賢所の御鈴の音は、この世のものとも思えぬほど結構なものだよ、と徳大寺の太政大臣が仰られたそうだ。
註釈
○陳
ぢん。陣に同じ。座のこと。
○内侍所
ないしどころ。賢所(かしこどころ)に同じ。八咫鏡の鏡を安置する。
○徳大寺太政大臣
とくだいじのおおきおとど。藤原公孝。
柄にもなくこうまであからさまに禁裏を絶賛すること自体、意地悪な見方をすれば、「枕草子」のひそみに倣いながら、オリジナルの視座を確立しようという精神の働きに他ならないと思います。
兼好の書き記したかったのは、あくまで「衰へたる世の末」のリアルであって、その有象無象を逆照射するためにも、宮廷の無上の輝きが必要だったのではないでしょうか。