
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
静かに思へば、よろづに過ぎにしかたの戀しさのみぞせんかたなき。
人しづまりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残しおかじと思ふ反古などやりすつる中に、なき人の手ならひ、繪かきすさびたる、見出でたるこそ、ただその折の心地すれ。この頃ある人の文だに、久しくなりて、いかなるをり、いつの年なりけむと思ふに、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくて變らず久しき、いとかなし。
翻訳
しめやかに頭をめぐらした時、何につけ過ぎ去った日々への追慕だけはおさえがたいものがある。
皆々が寝静まってから、長夜の無聊を慰めんとして身の周りの道具類を整理し、おっとこれは残すわけにはいかんなと反古など破り捨てようとした矢先、今は亡き人の歌の書き損じや戯れに描いた絵を偶然見付けたりした日には、その時の情景感情がまざまざと蘇ってきて心ならずもどぎまぎしてしまう。今もこの世にいる人の手紙でさえ、ずいぶんご無沙汰してしまっている相手だと、はてこれはどんな折だったかな、いつの年だったかしらと思い起こそうとつい心が動く、まったくやるせないものだ。手紙類はもとより、使い込まれた道具なども、物に心があろうはずもなく変わらぬ姿を留めているのが、悲しくてやりきれない。
註釈
個人的に好きな段のひとつです。
字は人なり。
女々しいと、笑わば笑え。私はむしろ雄々しいとはこういうことだと思っています。真っ直ぐな涙を流せることだと。女々しいも雄々しいも今や無価値ですけどね。
これ読んで頷けない人とは、あまりお付き合いしたくないですね。
追記
メールじゃこうはいきませんねぇ。