【徒然草 現代語訳】第二十二段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

何事も、古き世のみぞしたはしき。今やうは無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみのつくれる、うつくしきうつは物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただいふことばもくちをしうこそなりもてゆくなれ。いにしへは、車もたげよ、火かかげよ、とこそいひしを、今やうの人は、もてあげよ、かきあげよ、といふ。主殿寮、人数たて、といふべきを、たちあかししろくせよ、といひ、最勝講の御聴聞所なるをば、御かうのろ、とこそいふを、かうろ、といふ、くちをしとぞ、ふるき人は仰せられし。

翻訳

何であれ、昔の世のことばかりが慕わしい。当節ときた日には、ありとあらゆることがどうしようもなく下品になり、そのうち目も当てられなくなってゆくのだろう。かの指物師たちの手による優美な品々も、古代のものは味わい深さも格別と思う。

手紙の文言にしてからが、昔のは反古ですら心惹かれてしまう。そもそも日常会話自体が情けないことに乱れに乱れたあげく手がつけられなくなってゆく。その昔は、「車もたげよ」、「火かかげよ」と云ったものを、昨今は、「もてあげよ」、「かきあげよ」なんぞと云う。「主殿寮の人数立て」と云うべきところを、「松明に火を灯して明るくせよ」と云い、最勝講の際にお上がご聴聞になられる所を、「御講の盧」と云わねばならぬところ、略して「講盧」などと云う、なんとも嘆かわしいと、とあるご老人が仰られた。

註釈

○主殿寮
とのもりょう。宮中の清掃、灯火、薪炭の管理を担った部署。

○人数
にんじゅ。スタッフのこと。

○主殿寮、人数立て
主殿寮のスタッフたち、座を立って仕事せよの意。

○最勝講
さいしょうこう。毎年五月吉日に、天皇が国家鎮護の経文「金光明最勝王経」の講義を高僧より五日間にわたってお受けになる宮中行事。


「徒然草」の中では、五指に入るほどの有名な段です。
兼好法師のおおまかなイメージは、序段と一段とこの二十二段で作り上げられていると云ってもいいんじゃないでしょうか。

昔はよかった、と口にし始めたら老人のはじまりとよく云われますが、こんにち好んで読まれる随筆、エッセーの大半は、爺の皮肉繰りごとか婆の悪口鉄槌ですから、兼好が後世の文芸に与えた影響たるや推して知るべしでしょう。
極論すれば、人気のエッセイストは、皆兼好法師なんですよ。

蛇足ですが、南北朝時代の兼好がどんどん品が下がってゆくと嘆いたその当時の器物を、今の私たちは「名品」だの「傑作」だのとありがたがって崇め奉っているわけで、この段の影響を多大に受けながらゆくりなくも骨董商となってしまった我が身の滑稽さに、苦笑を禁じえません。

追記

それでも私は「電話する」とは絶対に云いません。電話は断じて「かける」です。メールも同様。メールは「送る」、書くなら「送信する」です。「手紙する」とはさすがに云わんでしょう。もっとも、LINEなら「LINEする」でいいんじゃないんですか。LINEしませんけどね。


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