【徒然草 現代語訳】第二十段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

なにがしとかやいひし世捨人の、この世のほだしもたらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しきといひしこそ、誠にさも覚えぬべけれ。

翻訳

誰やらとかいう世捨て人が、今さらこの世になんの未練も執着もない身だが、移ろいゆくものへの哀情だけはいかんともしがたいと云ったそうだが、いかにもその通りだなぁと思うよ。

註釈


十九段に続けてこの段をもってくる構成が、いかにも読み手を意識していて心憎いです。
読み手は、何も他人様ばかりじゃありません。他ならぬ自分自身が第一読者ですからね。

この「なにがしとかいひし世捨人」がこう云ったは、自分が常日頃こう考えていると同義と思います。動詞があくまでも「いふ」ですからね、さほどの敬意は持ち合わせていないのです。
俺はこう考えるとストレートに書いてもいまいち芸(説得力)がないし少々面映ゆい、かといっていつもいつも偉い誰それがこんなふうに宣ったでは類型に堕してしまいますので、あくまでも無名の世捨人に荷担した形をとって、軽く権威づけしているわけです。

こういった段、書いたものに自分を織り込んでゆくのは、やり過ぎても白々しいだけですし、あまりに控えめだとそれこそ書かないより腹にものが溜まります。
書き進めながら、その匙加減を若い兼好は計っていたのでしょうね。


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