
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
すべて人は、無智無能なるべきものなり。ある人の子ども、見ざまなどあしからぬが、父の前にて、人と物いふとて、史書の文を引きたりし、さかしくは聞えしかども、尊者の前にては、さらずともと覺えしなり。
また、ある人の許にて、琵琶法師の物語を聞かむとて、琵琶をめしよせたるに、柱の一つ落ちたりしかば、作りてつけよといふに、ある男の、中にあしからずと見ゆるが、古きひさくの柄ありやなどいふを見れ
ば、爪を生おほしたり。琵琶などひくにこそ。めくら法師の琵琶、その沙汰にも及ばぬことなり。道に心得たるよしにやと、かたはらいたかりき。ひさくの柄は、ひもの木とかやいひて、よからぬ物にとぞ、ある人仰せられし。
若き人は、すこしのことも、よく見え、わろく見ゆるなり。
翻訳
おしなべて人は、無智無能であるのがよい。さる方の息子で、容姿こそ悪くない者が、父親の前で人と話をした際に、史書の文言を引いて喋っていたが、確かに頭がよさそうな感じはしたけれども、なにも目上の人の前でそうまでせずともよいのではとつい思ってしまった。
他にもまた、さる方のお宅で琵琶法師の語りを聴く会があり、琵琶を持ってこさせたところ、琵琶の柱がひとつ落ちてしまい、「新しく作ってつけよ」と云うと、集まった中で見た目もまずまず垢抜けた男が、「古柄杓の柄がありますか」と口を出した、注意して見れば爪を伸ばしている、琵琶を嗜むに相違ない。盲法師の弾く琵琶に、わざわざそこまでする必要があろうか。琵琶には一家言あると知らしめたかったのだろうが、端で聞いていて笑止千万であった。「柄杓の柄は檜物木とか呼ばれ、上等なものじゃないのになぁ」とある人は仰られた。
とかく年若い人は、ちょっとしたことでよく見えたり悪く見えたりするものである。
註釈
○史書の文
読みは「ししょのもん」。
○柱
読みは「ぢゅう」。琵琶の弦を支える柱で、通常の琵琶は四本のところ、平家琵琶は五本ある。
この段を大学時代に読んで、僭越ながら「俺と同じセンスの奴がいた!」と思ってしまった私でした。
追記
「知らない」と「知ろうとしない」は別物ですけどね。