【徒然草 現代語訳】第二百三十五段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

ぬしある家には、すずろなる人、心のままに入り来る事なし。あるじなき所には、道行き人みだりに立ち入り、狐、ふくろふやうの物も、人げにせかれねば、所えがほに入りすみ、こだまなどいふ、けしからぬかたちもあらはるるものなり。また、鏡には色かたちなき故に、萬のかげ來りてうつる。鏡に色かたちあらましかば、うつらざらまし。

虚空よく物をいる。我等が心に念々のほしきままに來り浮ぶも、心といふもののなきにやあらむ。心にぬしあらましかば、胸のうちに、若干のことは入り來らざらまし。

翻訳

住人のいる家には、見ず知らずの人が、ふらっと入ってくるようなことはまずない。住む者のいない家屋には、通りがかりの人がずかずかと足を踏み入れたり、狐、梟等その類いの獣たちが、人気を気にせずともよいのをいいことに、我が物顔で好き勝手に棲みつき、木霊などという奇っ怪な現象まで起こってしまう始末。また、鏡は、色も形も持たないので、万物の姿が映る。仮に鏡に色、形があったなら、あらゆるものを映し出すことはないだろう。

何もない空間は無限の如く物を受け容れる。我等の心に雑念が次から次へと沸き起こるのも、本当の意味で心がないからではなかろうか。心にしっかりと主が住みなしていれば、胸中にあれこれと邪念が忍びより入り込むこともないだろうに。

註釈

○若干
読みは「そこばく」。古語の若干は、多くの、たいそう、ひどく、の意味。



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