
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
人のものを問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのままにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうにかへりごとしたる、よからぬことなり。知りたることも、なほさだかにと思ひてや問ふらむ。また、まことに知らぬ人もなどかなからむ。うららかにいひ聞かせたらむは、おとなしく聞えなまし。
人はいまだ聞き及ばぬことを、わが知りたるままに、さてもその人のことのあさましさなどばかりいひやりたれば、如何なることのあるにかと、おし返し問ひにやるこそ、心づきなけれ。世にふりぬることをも、おのづから聞きもらすあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げやりたらむ、あしかるべきことかは。
かやうのことは、ものなれぬ人のあることなり。
翻訳
人が質問してきた時、まさかこんなことを知らないはずはなかろう、だとしたらストレートに答えるのも阿呆くさいとでも思うのだろうか、却って惑わせてしまうような返事をするのはいただけない。仮に知っていることであっても、より一層深く知りたいと思って訊いてきたのかもしれないではないか。もちろん、全く知らない人だって当然いるはずだ。きちんと解りやすく答えてあげたら、どんなにかありがたがられるだろう。
ほとんどの人がまだ耳にしていないことでも、たまさか自分が知っているからと云って、「いやはやあの人の話には魂消ましたよ」と思わせ振りな返事をしたら、相手にしたら初耳なので、「一体全体何があったんです?」と訊き返さねばならない羽目になる、あれは実に鬱陶しい。すっかり世間に広まり周知の事実となっている事柄であっても、つい聞き漏らしてしまうことはしょっちゅうある、よって包み隠さず丁寧に教えてあげるのは、全然悪いことじゃない。
この類いのことは、世間知らずがよくやりがちだ。
註釈
社会人になって一等最初に教わったのは、質問に質問で返すのは極めて無礼だ、ということでした。