
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
建治、弘安の頃は、祭の日の放免のつけ物に、ことやうなる紺の布五六反にて馬をつくりて、尾髪にはとうじみをして、くものい書きたる水干につけて、歌の心などいひわたりしこと、つねに見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしかと、老いたる道志どもの、今日も語り侍るなり。
この頃は、つけもの、年を送りて過差ことのほかになりて、萬の重き物を多くつけて、左右の袖を人にもたせて、みづからはほこをだにもたず、いきづきくるしむ有様、いと見苦し。
翻訳
建治、弘安の時代には、賀茂祭の日に放免たちが着ける飾り物は、奇天烈な紺の布四五反で馬をこしらえ、尻尾と鬣には灯芯を用いたのを、蜘蛛の巣を描いた水干にくっつけるといった風、これぞあの歌の心でござると云い放ちながら大路を渡ってゆくのをいつも目にしたもので、凝りに凝った趣向でしてやったりと快哉を叫んだものでしたなぁと、年寄りの道志たちは今なお口々に云い合っているようです。
それにひきかえ昨今は、飾り物も年を追うごとにどこまでも華美になり、ありったけの重い物をじゃらじゃらぶら下げ、あろうことか左右の袖を人に持たせ、自分はといえば矛すら持たずにぜぇぜぇと息を切らして喘いでおる始末、みっともないことこの上ない。
註釈
○建治、弘安
1275年~1288年。
○放免
読みは「ほうべん」。元罪人が赦されて(放免になって)検非違使の下端になった者。
○水干
すいかん。元は庶民の着物だったが、鎌倉時代以降、狩衣と同等の正装に格上げされた。
○歌の心
蜘蛛の網に荒れたる駒はつなぐともも二道かくる人は頼まじ(たとえ蜘蛛の巣に暴れ馬を繋ぐことが出来たとしても浮気心のある人を繋ぎ留めておくことは叶わない)
○道志
大学寮で律令法を学んだ検非違使庁の官吏。
弘安と云えば弘安の役(1281年夏)ですが、二度目に蒙古が攻めてきて、国家存亡の危機にあった頃も、京の人たちは存外呑気だったんですね。
追記
「祭ばやしが聞こえる」ってドラマ、好きだったなー。