【徒然草 現代語訳】第二百二十五段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

多久資が申しけるは、通憲入道、舞の手の中に、興あることどもをえらびて、磯の禪師といひける女に教へて舞はせけり。白き水干に、さうまきをささせ、烏帽子をひき入れたりければ、をとこまひとぞいひける。禪師がむすめ静といひける、この藝をつげり。是れ白拍子の根元なり。佛神の本縁をうたふ。その後源光行、多くの事をつくれり。後鳥羽院の御作もあり。亀菊に教へさせ給ひけるとぞ。

翻訳

多久資が申しましたことには、信西こと藤原通憲入道が、舞の所作の中から興趣の尽きないものを撰び出し、磯の禅師という女に教え込んで舞わせたらしい。その際、白い水干に鞘巻を差させ、烏帽子まで着けさせたので、俗に男舞と呼ばれた。禅師の娘に静というのがいて、その芸を継承した。これが白拍子の始まりである。舞いながら謡う歌は、もっぱら神仏の縁起。後に源光行が、多くの歌詞をものした。中には後鳥羽院の御作もある。院は寵姫亀菊にお教えになり舞わせたという。

註釈

○多久資
おおのひさすけ。伶人。

○通憲入道
藤原通憲。出家後は信西。平治の乱で殺された後白河院の側近。

○水干
すいかん。狩衣のひとつ。

○さうまき
鞘巻。短刀の鞘。

○静
云わずと知れた義経の愛妾。

○源光行
みなもとのみつゆき。源氏物語の註釈書「水原抄」の作者。

○亀菊
後鳥羽院の寵愛著しかった白拍子。隠岐島にも随行した。


ヤマトタケルは女装し、神功皇后は男装しました。
日本のそれは、神さまに降りてきていただくための手段のひとつだったのです。

追記

人の心を掴み動かすのに舞は欠かせないものです。そういう意味でもやはりジャニーさんは慧眼でしたね。あ、秋元康もか。


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