
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心うきことにして、學問をすてて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一藝あるものをば下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
この行長入道、平家物語を作りて、生佛といふ盲目に教へて語らせけり。さて山門のことを、ことにゆゆしくかけり。九郎判官の事はくはしく知りて書きのせたり。蒲冠者のことは、よく知らざりけるにや、多くのことどもを記しもらせり。武士のこと、弓馬のわざは、生佛、東国のものにて、武士に問ひ聞きて書かせけり。彼の生佛が生れつきの聲を、今の琵琶法師は學びたるなり。
翻訳
後鳥羽院の御代に、信濃前司藤原行長は学識が高いと見られていたが、漢詩の楽府について御前にて論議し合う役を仰せつかった際、「白氏文集」にある七徳の内の二つを度忘れし、そのことで五徳の冠者と不名誉な渾名をつけられてしまった、それを気に病んだ挙げ句学問を棄て出家していたのを、慈鎮和尚が、このお方は一芸に秀でた者はたとえ身分が低かろうとお側において面倒を見ておられたので、行長にも目をかけお世話をなさった。
この行長入道が平家物語を創作し、生仏という盲人に教えて語らせたのである。そんなわけだから、延暦寺のことはあそこまで恭しく書いているのだ。義経のことも詳しかったので、かなり細かく書いてある。一方で蒲の冠者こと範頼についてはよく知らなかったと見え、書き漏らしが多い。武士についてや弓馬に関しては、生仏が東国出身だったため、武士たちに直に聞き取りして書かせたのだそうだ。この生仏の吾妻訛りの声音を、昨今の琵琶奉仕たちは忠実に再現しているのだ。
註釈
○信濃前司行長
藤原行長。中山行長とも。平家物語の作者に擬されている人物。
○楽府
読みは「がふ」。漢詩の一形式。
○冠者
読みは「かんじゃ」。
○慈鎮和尚
慈円。この時代の和尚の読みは「かしょう」。
○九郎判官
くろうほうがん。源義経。
○蒲の冠者
かばのかんじゃ。頼朝の弟で義経の兄源範頼。
行長に関しては、信濃前司ではなく下野前司であったので、ここは兼行の思い違いでしょう。
追記
「判官贔屓」はあくまでも「ほうがんびいき」。「はんがんびいき」ではありません!