【徒然草 現代語訳】第二百六段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

徳大寺右大臣殿、検非違使の別當の時、中門にて使聽の評定行はれける程に、官人章兼が牛はなれて、聽のうちへ入りて、大理の座のはまゆかの上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへつかはすべきよし、各申しけるを、父の相國聞き給ひて、牛に分別なし。足あれば、いづくへかのぼらざらむ。弱の官人(かんにん)、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなしとて、牛をば主に返して、臥したりけるたたみをばかへられにけり。あへて凶事なかりけるとなむ。

あやしみを見てあやしまざる時は、あやしみ却りて破るといへり。

翻訳

右大臣徳大寺公孝公が、検非違使の長官を務められておられた時に、中門で役所の評定をなさっておられた際、下級役人章兼の牛が繋いでいた牛車から離れ、役所内に侵入し、長官のお座りになる浜床に昇ってどっかと座り、喰ったものを反芻しながら横臥したことがあった。すわ一大怪事!牛を陰陽師の許へと遣わし吉凶を占わせるべし!!と、誰も彼もが狼狽え申し上げたところ、長官の父君であられる太政大臣実基公がお聞き及びになり、「牛に分別のあろうはずもない。足があるのだから、どこへなりと好きな所へ昇って当然。よって、なんの力もない下端役人が、偶然使っていた駄牛の気紛れでその牛を取り上げられるいわれはない」と、牛を飼い主に戻してやり、臥した畳だけを新しいものにお取り替えなさったという。その後も取り立てて凶事はなかったそうだ。

怪事が起こってもそれを怪しいと見さえしなければ、怪事はかえって消え去るものと云われている。

註釈

○徳大寺右大臣
藤原公孝。

○父の相國
藤原実基。

○?弱
読みは「おうじゃく」。微力、弱弱しいこと。


今も昔も冷静な人っているんですね。


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