
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
或る大福長者のいはく、人は萬をさしおきて、ひたふるに徳をつくべきなり。まづしくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心と言ふは他のことにあらず。人間常住の思ひに住して、かりにも無常を觀ずることなかれ。これ第一の用心なり。次に、萬事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に随ひて志を遂げむと思はば、百萬の錢ありといふとも、暫くも住すべからず。所願はやむ時なし。財は尽くる期あり。限りある財をもちて、かぎりなき願ひにしたがふこと、得べからず。所願、心にきざすことあらば、我をほろぼすべき惡念來れりと、かたくつつしみ恐れて、小要をもなすべからず。次に、錢を奴のごとくしてつかひ用ゐる物と知らば、ながく貧苦を免るべからず。君のごとく神のごとくおそれたふとみて、したがへ用ゐることなかれ。次に、恥にのぞむといふとも、怒りうらむることなかれ。次に、正直にして約をかたくすべし。この義をまぼりて利を求めむ人は、富の來る事、火のかわけるにつき、水のくだれるにしたがふがごとくなるべし。錢つもりてつきざる時は、宴飲聲色をこととせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへにやすくたのしと申しき。
仰々人は、所願を成ぜむがために財を求む。錢を財とすることは、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何をか楽しびとせむ。このおきては、ただ人間の望を断ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲を成じてたのしびとせむよりは、しかじ、財なからむには。癰疽をやむ者、水に洗ひてたのしびとせむよりは、やまざらむにはしかじ。ここにいたりては、貧富わく所なし。究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。
翻訳
ある大金持ちがこんなことを云った。
「人は、あらゆることを二の次にして、ただひたすら財を築き続けねばならない。貧乏のままでは人として生きている甲斐がない。富める者のみが人なのだ。そこでまづ、一財産を作ろうと思うなら、何はともあれ金持ちの心得を修得せねばならない。その真髄は他でもない。人の世は永遠不滅、まかり間違ってもこの世は儚く虚しいなどという想いに囚われるようなことがあってはならない。これが最重要の注意点である。次いで、あらゆる用件を片付けようとしてはならない。誰であれ、この世に生きていれば、自分のことのみならず他人のことまでひっくるめても欲望には限りがない。そういった欲望のおもむくままに、何もかもを叶えてしまおうとした暁には、百万の富があったところで金は片っ端から手元をすり抜けていってしまう。人の欲には限りがない。財も尽きる時がくる。限りある財産で、限りない欲望を満たそうとするのははなから無理がある。なにがしかの欲が芽生えたら、それこそ我が身を滅ぼす邪念であると、厳しく自分を律し怖れ、ほんのわずかの欲望にも金銭を投じてはならない。次に、金はさながら下僕のごとく遣い使用するものと勘違いしていると、いつまでたっても貧乏からは脱却出来ない。あたかも主君のごとく神のごとく畏れ敬い、意のままに用いようなどと考えてはならない。その次に、金銭がらみで恥をかかされたとしても、そのことで怒ったり恨んだりしてはならない。そしてその次に、常に正直であり約束は必ず守るべきだ。この姿勢態度を頑なに遵守し利益を追求する者には、金は、火が乾いたところより発し水が低きに流れるにも似て、自然と入ってくる。金が貯まりに貯まってどんどん増えてゆくと、酒にも遊びにも女にも心動かさず、住まいを飾ることもせず、やりたかったことがやれなかったとしても、心はどこまで安寧にして安泰、愉快この上ない」と。
そうだろうか?人はそもそも欲望を叶えるために金を稼ぐのだ。金を貯めるのは、やりたいことを為さんがためである。やりたいことがあってもやれず、金を持っていても遣わないと云うのなら、貧乏人と変わりない。何を楽しみに生きればいいというのか。この金持ちの鉄則は、単に人として欲望を断ち切り、貧乏を嘆くなと取れる。欲望を金で叶え享楽に耽るより、貧乏でいた方がまだマシ。悪性の腫瘍を患う者が、それを水で洗うことを歓びとするより、そもそも病気に罹らないに越したことはない。こうなってくると、金持ちも貧乏人も一緒。突き詰めれば、悟りと迷いは同根。貪欲は無欲と似ているということだ。
註釈
後半の兼好の解釈が牽強附会かどうか、ここは意見が分かれるでしょうね。
それにしても極めて現代的なテーゼです。
金を是とするか非とするか。そもそも是か非かの二元論自体に意味があるのか無意味なのか。
追記
昨今は誰でも大金持ちになれる上、途方もない超大金持ちが続々出現しているので、金がどーの人がどーのというレベルで物事をとらえること自体空しいですけどね。