
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
四條黄門命ぜられていはく、龍秋は、道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りていはく、短慮のいたり、きはめて荒涼のことなれども、横笛の五の穴は、聊かいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。その故は、干の穴は平調、五の穴は下無調なり。その間に、勝絶調をへだてたり。上の穴雙調、次に鳧鐘調を置きて、夕の穴、黄鐘調なり。その次に鸞鐘調を置きて、中の穴盤捗調、中と六のあはひに神仙調あり。かやうに間々に皆一律をぬすめるに、五の穴のみ、上の間に調子をもたずして、しかも間をくばることひとしきゆゑに、その聲不快なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、物にあはず。吹きうる人かたし、と申しき。料簡のいたり、誠に興あり。先達、後生をおそるといふこと、このことなりと侍りき。
他日に景茂が申し侍りしは、笙は、しらべおほせてもちたれば、ただ吹くばかりなり。笛は吹きながら、いきのうちにて、かつしらべもてゆく物なれば、穴ごとに、口傳の上に性骨を加へて心を入るること、五の穴のみにかぎらず。ひとへにのくとばかりもさだむべからず。あしく吹けばいづれの穴も心よからず。上手はいづれをも吹きあはす。呂律のものにかなはざるは、人のとがなり。器の失にあらずと申しき。
翻訳
四条中納言藤原隆資卿がこう仰せになられた。
「豊原龍秋は、こと笙の道においては最大級の敬意を払ってしかるべき者である。先日も、やって来てこんなことを云った。『思慮浅く、また甚だ不躾ではございますが、横笛の五の穴につきまして、少々胡乱なところあるように内心思っております。それというのも、干の穴は平調、次の五の穴は下無調です。その間に勝絶調が挟まっております。上の穴は双調、次いで鳧鐘調、夕の穴は黄鐘調。その次に鸞鐘調を置いて、中の穴は盤捗調、そして中と夕の間にあるのが神仙調です。かくのごとく、すべての穴と穴の間では、一調子省かれておりますが、おかしなことに五の穴のみ、次の上の穴との間の調子がなく、しかも間隔は他の穴同様ですから、その音色はいささか耳障りです。よって、五の穴を吹く際には、必ず穴をずらして吹きます。ずらし方がいい加減だと、どうにも調子が合いません。この五の穴を上手に吹ける者は滅多におりません』と。いやはや実に洞察に富んでおる、まことにもって面白い。先輩が後輩を怖れるとはよく云ったもの、まさにその通りである」
一方、後日には大神影茂がこんなことを云ったという。
「笙は、調律さえ済ませていれば、後は吹くだけです。方や笛は吹きつつ一息一息において調子を整えてゆくものですから、あらゆる穴の吹き様に口伝があり、それを修得した上で持ち前の腕を加味して吹かねばなりませんから、なにも話は五の穴に限ったことではございません。必ずしも穴をずらして吹くと決まっているわけではないのです。下手に吹けば当然どの穴もいい音を奏でてはくれません。巧みに吹けば、いずれの穴も調子を合わせることが出来ます。旋律が他の楽器と外れているのは、演奏者に問題があるのであって、楽器のせいではありません」。
註釈
○四条黄門
藤原隆資(たかすけ)。黄門は中納言の唐名。
○龍秋
豊原龍秋。笙の名人。
○影茂
大神(おおが)影茂。笛の名人。
テクニカルタームが多過ぎて、細部に関してはほにゃららですが、要は各名人に云い分があるとゆーことですね。
追記
私らの若い頃は、ギターがうまけりゃモテたもんでしたが、今時はどーなんでせう?