
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
平宣時朝臣、老ののちむかしがたりに、最明寺入道あるよひの間によばるることありしに、やがてと申しながら、直垂のなくて、とかくせしほどに、又使來りて、直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば、ことやうなりとも、とくとありしかば、なえたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、てうしにかはらけとりそへて持て出でて、この酒をひとりたうべむがさうざうしければ、申しつるなり。さかなこそなけれ。人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へとありしかば、脂燭さして、くまぐまを求めし程に、臺所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、これぞ求めえてさぶらふと申ししかば、こと足りなむとて、心よく數献に及びて、興にいられ侍りき。その世には、かくこそ侍りしかと申されき。
翻訳
平宣時朝臣が、年老いてから昔語りにこんなお話をされた。「最明寺入道こと北条時頼殿から、ある夜お呼びがかかった。『早急に』とお応えしつつも余所行きの直垂がなく、あたふたしているうちにまたも使者が来て、『ひょっとして直垂などがないのですか?夜じゃありませんか、ちょっとばかり風体がおかしくても構いませんよ、それよりお急ぎください!』とせっつくので、くたくたの直垂を身につけ、着の身着のままで参上しましたところ、入道はお銚子に素焼きの器を添えたのを持って出てこられ、『この酒を私一人で呑むのはあまりに侘しいので、お呼びだてした次第です。肴がないのですが、生憎家の者達は寝静まっております。なにかしらあてになるようなものがないか、お手数ですが何処なりとお探しくださらんか』、と申された。脂燭を差し、家のあちらこちらを照らしながら探しているうちに、台所の棚に小さな素焼きの壺にわずかばかりの味噌が付いているのを発見、『おお、これがありましたぞ!』と申し上げると、『充分でしょう』と朗らかに次次と盃を重ね、すっかり上機嫌になられたことがあった。あの時代、何事もこんな風でしたよ」
註釈
○平宣時
たいらののぶとき。北条宣時、もしくは大佛宣時とも。あまり知られていないが、代々鎌倉幕府の執権を務めた北条氏の先祖は平氏(と云われている)。
○最明寺入道
さいみょうじのにゅうどう。五代執権北条時頼。時頼は宣時の約11歳年上。
「徒然草」で五指に入る有名な段です。
誰しも一度は目を通されたことがおありでしょう。
それはそれで結構なことですが、この段をもって「これが徒然草」と云われるのはちと寂しいですね。
追記
昔はよかったって云うようになったら人間おしまいです。