【徒然草 現代語訳】第五十三段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

これも仁和寺の法師、童の法師にならむとする名残とて、各遊ぶことありけるに、酔ひて興に入るあまり、傍なる足鼎を取りて、頭にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおしひらめて、顔をさし入れて、舞ひ出たるに、満座興に入ること限りなし。

しばしかなでて後、ぬかむとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせむとまどひけり。とかくすれば、頸のまはりかけて、血たり、ただ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ちわらむとすれど、たやすくわれず、響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足なる角の上に帷子をうちかけて、手をひき杖をつかせて、京なるくすしのがりゐて行きける、道すがら人の怪しみ見ること限りなし。くすしのもとにさしいりて、むひゐたりけむありさま、さこそことようなりけめ。物をいふも、くぐもり聲に響きて聞えず。かかることは文にも見えず、傳へたる教へもなしといへば、また仁和寺へ帰りて、したしき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらむとも覚えず。

かかる程に、あるもののいふやう、たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらむ。ただ力を立てて引き給へとて、藁のしべをまはりにさし入れて、かねをへだてて、頸もちぎるばかり引きたるに、耳鼻かけうげながらぬけにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。

翻訳

これまた仁和寺の坊さんの話、稚児がいよいよ剃髪して僧侶になるにあたり名残を惜しみ、皆でどんちゃん騒ぎをした際、酔いが廻って興がのったのか、そこにあった足鼎をひょいと取って頭に被ってみたところ、どうもつっかえるふうだったらしく、鼻を押しつぶして顔を突っ込み、その格好で踊り出したので、やんやの大喝采を浴びた。

しばらく舞い踊ったのち、足鼎を抜こうとしたが、抜くに抜けない。宴もたちまち興がさめ、一座はどうしたものかとただ気を揉むばかりである。あれこれ試しているうちに、首周りが傷ついて血が垂れ出し、しまいには首が腫れあがり息も出来ないほどになってきた、ぶち壊してやろうとするものの、そう簡単にはいかないばかりか、頭にガンガン響いてとうてい我慢がならない、手をこまねいていても仕方ないので、角のようになった鼎の三つ足の上に帷子を載せ、手を引き引き杖をつかせ京の医者のところへ連れてゆく道すがら、道行く人達の好奇の眼差しを痛いほど浴びる羽目になった。医者のもとに辿り着き、本人と差し向かいでいる図は、どれほど奇異に見えたことだろう。口を利こうにも、くぐもって聞き取れない。かような容態は文献にも見当たらず、先達の教えの中にもござらん、と云われ、悄然として仁和寺に戻り、仲のよかった者たちや老母が枕元に集い嘆き悲しんだけれども、はたして当人の耳に入っていたかどうか心もとない。

そんなこんなするうち、ある者がこう云った、たとえ耳と鼻は千切れて失うことになろうと、命までとられることはなかろう。とりあえずひたすら力の限り引いてみてはどうか、そこで藁しべを首周りに差し込み、金属部分が直にあたらないよう養生した上で、首が抜けるほど引っ張ってみたところ、耳と鼻は傷だらけになりながらも、どうにか抜くことが出来た。寸でのところで命拾いしたはよかったが、ずいぶんと長いこと病に臥せっていたということだ。

註釈

○足鼎
あしがなえ。湯を沸かす道具。


仁和寺黒歴史ネタ第二弾。
途中までバカ殿のコントを見てるような、おもろうてやがて哀しい段です。バカ殿なら、オチは首がすっぽ抜けて、下から新しい顔が出てくるところですね。

仁和寺に、何かしら恨みでもあったんでしょうか。

追記

でも私、けっこうこの段好きです。「耳なし芳一」とかゴッホのエピソードとか、耳が千切れる話は妙にゾクゾクしますね。


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