【徒然草 現代語訳】第五十六段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

久しく隔りて逢ひたる人の、我が方にありつること、かずかずに残りなく語りつづくるこそ、あいなけれ。へだてなくなれぬる人も、程へて見るは、はづかしからぬかは。つぎさまの人は、あからさまに立ち出でても、けふありつることとて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、ひとりに向きていふを、おのづから人も聞くにこそあれ。よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひののしる。いとらうがはし。をかしきことをいひてもいたく興ぜぬと、興なきことをいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき。

人のみざまのよしあし、才ある人はその事など定めあへるに、おのが身をひきかけていひ出でたる、いとわびし。

翻訳

ずっと逢っていなくて久し振りに顔を合わせた人が、我が身に起こったあれこれの事を、とめどなく語り続けるのは、聞いてて空しくなる。いかに懇意にしていても、長らく逢っていないと、遠慮する気持ちにならないものだろうか。無教養で品のない人は、ちょっとした外出先の出来事と云って、息つく暇もなくひたすら喋りまくる。知性も教養も兼ね備えた上品な人が話す時は、たとえ聞く側が多くとも、中の一人に向かって云う言葉を、他の者たちも自然と耳を傾けるものだ。教養も品性も足りない未熟者は、誰それということもなく、万座の中に出しゃばって、今起こっていることをレポートするかのごとく喋るので、聞く方も面白がりこぞって笑い騒ぐ。うるさくてしかたない。興味深いことを話してもたいして受けないのと、おかしくもなんともないことを喋っても大受けする、その辺りの反応で人の程度が計られてしまうんだろうな。

人の外見のよしあしや、学識ある人ならそれについて互いに批評しあっている時に、自分を引き合いに出して論じようとしたりするのは、お寒い限りだ。

註釈


耳に痛い段ですなぁ。
自虐ネタも過ぎれば嫌みになりがちですし、受けたいなら悪口を云うにしくはないので、ここまで禁じられると何を喋ったらよいのやら判らなくなりますね。


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