【徒然草 現代語訳】第五十段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

應長の頃、伊勢の國より、女の鬼になりたるをゐてのぼりたりといふことありて、その頃二十日ばかり、日ごとに、京白河の人、鬼見にとて出でまどふ。昨日は西園寺に参りたりし。今日は院へ参るべし。ただ今は、そこそこになどいひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、そらごとといふ人もなし。

その頃、東山より安居院の邊へ罷り侍りしに、四条よりかみざまの人、皆北をさして走る。一条室町に鬼ありとののしりあへり。今出川の邊より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通りうべうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざめりとて、人をやりて見するに、大方逢へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。

その頃おしなべて二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、かの鬼のそらごとは、このしるしをしめすなりけりといふ人も侍りし。

翻訳

応長の時代に、伊勢の国より鬼になった女を率いて上京したという大事件があり、二十日ほど京、白川の人達は連日鬼見物に東奔西走した。「昨日、鬼は西園寺に参詣した」「今日は院の御所に伺うにちがいない」「今まさにどこそこにいる!」等々しきりと噂し合った。この目でしかと鬼を見たと云う人もいないかわりに、まったくの嘘っぱちだと云いつのる人もいなかった。

ちょうどその頃、東山から安居院にご用があって出掛けました際に、四条から上手の人達がいっせいに北に向かって駆けていた。一条室町に鬼がおるぞぉ!とそれはもう大騒ぎ。今出川の辺りより見やれば、賀茂祭のために設けられた上皇様の御桟敷周辺にいたっては、立錘の余地もない。ここまでの事態になっている以上、さすがに事実無根ということはなかろうと、使いの者に見に行かせたが、不思議なことに鬼に逢ったという者は一人としていなかった。夕刻まで騒ぎに騒いで、ついには喧嘩沙汰まで起こる始末、呆れ果てる出来事の連続であった。

折しも同じ時期に、誰彼なく二三日臥せってしまう病が流行ったことがございまして、さてはあの鬼騒動、この流行病の前触れだったんだな、と口にする人もございました。

註釈

○應長(応長)
1311年~12年。花園天皇の御代。


これも有名な段ですね。
私のお気に入りの段でもあります。

な~んも変わって(進歩して)ないですねぇ、日本人。
つい半年ばかり前、ネットに溢れかえった胡散臭いコロナ情報に翻弄されまくった方々を目にした後に読むと、苦笑しかありません。末尾のエピソードもいいなぁ。いますよね、何かっちゃ「イマソラ」とかって空の写真アップして、何かしら予兆(のようなもの)を読みとろうとするお目出度い人達。

個人的には、鬼になった女というのに前から関心があります。
大きく動こうとしている時代(鎌倉時代の終わりは1333年)が作り出した見えない魔物に。
鬼が伊勢からやってきたというのも、また実に興味深い。神様が鬼を遣わし、京童たちを右往左往させて時代をひっくり返そうとなさったのかもしれません。

とまれ、人々が禍々しい者(トリックスター)を求めていた、そういう時代だったんじゃないでしょうか。


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