
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
不幸に愁に沈める人の、かしらおろしなど、ふつつかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて、待つこともなく明し暮したる、さるかたにあらまほし。
顕基中納言のいひけむ、配所の月、罪なくて見む事、さも覚えぬべし。
翻訳
不幸に遭い悲しみの淵に沈み込んでいる人が、剃髪するなど、ふとした弾みで仏門に入ったというわけでもなしに、在不在すら定かではないほどに門を閉ざし、もはや何も期待しない望まない風情でひっそり閑と暮らしているのは、それはそれでこうありたい姿のひとつではある。
顕基中納言が仰られたとか、流刑地の月は、罪を負わされていない身で眺めたいものよという心情、しごくごもっともと頷かれそうだ。
註釈
顕基中納言
源顕基(みなもとのあきもと)。平安時代中期の公卿。藤原道長の同時代人。後一条天皇(外祖父が藤原道長)の信任篤く、天皇崩御に伴い出家したと伝えられます。
妙な臨場感がありますので、モデルがいたのかもしれません。
ひょっとしたら自分を美化したのかも。
同時に、「ふつつかに」出家するような軽はずみな輩を当て擦っている気配もなきにしもあらず、ですね。