【徒然草 現代語訳】第八十二段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

うすものの表紙は、とく損ずるがわびしきと人のいひしに、頓阿が、羅は上下はづれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれと申し侍りしこそ、心まさりて覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が、物を必ず一具にととのへむとするは、つたなきもののすることなり。不具なるこそよけれといひしも、いみじく覚えしなり。

すべて何も皆、ことのととのほりたるはあしきことなり。しのこしたるを、さてうち置きたるは、おもしろく、生きのぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず作りてはてぬ所を残すことなりと或人申し侍りしなり。先賢のつくれる内外の文にも、章段のかけたることのみこそ侍れ。

翻訳

薄絹を張った表紙は、すぐ傷んでしまうので困りものですねと誰かが云ったところ、頓阿が、薄絹の表紙は上下がほつれてからが、巻物の螺鈿の軸は貝が落ちてはじめて味が出ると申されたとか、実にものの解った方であると感じ入った次第。数冊揃いの物語本の、各巻の体裁が整っていないのを見映えがよくないと云うけれど、弘融僧都が、あらゆる物を揃え統一しようというのは野暮天のすること。不揃いだからいいのだと云ったのにも膝を打った。

何から何まできちんと揃っているのは、はっきり云ってダサい。やり残しをそのままにしてあるのが妙であり、伸びしろが楽しめるというもの。内裏を造営なさる際にも、未完成な部分を残すのが決まりであるとどなたかが仰られたそうだ。古の賢者たちが物した仏典他の書物も、章段の欠けたものがほとんどじゃありませんか。

註釈

○頓阿
とんあ。兼好が懇意にしていた時宗の僧侶。

○羅
読みは「うすもの」。

○弘融僧都
こうゆうそうづ。仁和寺の僧侶にして兼好の年下の友人。仁和寺ネタはこの人がニュースソースか?

○内外の文
読みは「ないげのふみ」。仏典、儒教の書物など。


源氏物語の「雲隠」の巻なんかも、そういう意図があったんでしょうか。

追記

サクラダファミリアは全然別物なんでしょうけど、あれは完成して欲しくないなあ。完成したサクラダファミリアなんて、サクラダファミリアじゃありませんよ。


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