【徒然草 現代語訳】第八段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

世の人の心まどはす事、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな。にほひなどはかりのものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬにほひには、必ずときめきするものなり。 久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけむは、誠に手足はだへなどのきよらに肥えあぶらづきたらむは、外の色ならねば、さもあらむかし。

翻訳

世の人を惑わせる事においては、なにはさておき色欲にとどめを刺す。人の心のなんたる愚かさよ。匂いなんぞはほんのかりそめのものであるのに、所詮いっ時ばかり衣裳に薫んじ込めただけのものと知りながら、えもいわれぬ匂いには、決まってときめいてしまうのだ。

久米の仙人が、洗濯姿の女のふくらはぎの白さにくらっときて、はからずも神通力をなくしてしまったのは、実際のところ女の手足や肌は清らかかつふくよかで艶々としていただろうから、このての健康的な色気は飾りたてられたものとはまったくの別物いわゆる天然ものなので、そうなってしまったのも致し方ないことであろうよ。

註釈

久米の仙人の話はすっかり人口に膾炙していますが、今昔物語によれば実はその洗濯女を後に妻に娶ったそうです。意外に律儀な仙人なんですよ。


自嘲臭が微笑ましい自戒の段。
兼好と云えば女嫌いで通っていますが、根っから嫌いだったわけではなく、一度ならず二度三度と手痛い目に遭ったが挙げ句の女嫌い(強がり)だったんじゃないでしょうか。
この段を読む限り、光源氏よろしく、兼好は養殖もの(上流)も天然もの(下流)もどっちもイケる口だったようですね。
そう考えると、作り込まれた天然ものを売りにする現代のアイドル文化は、色好みの男たちにとって理想的と云うべきなのかもしれません。


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