
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に鳥一雙を添へて、この枝に付けて参らすべきよし、御鷹飼下毛野武勝に仰せられたりけるに、花に鳥付くるすべ、知りさうらはず。一枝に二つ付くる事も、存じ候はずと申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、さらば、おのれが思はむやうに付けて参らせよと仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つをつけて参らせけり。
武勝が申し侍りしは、柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるとにつく。五葉などにもつく。枝の長さ七尺、或は六尺、返し刀五分に切る。枝の半に鳥をつく。つくる枝、踏まする枝あり。しじら藤のわらぬにて、二ところつくべし。藤のさきは、ひうち羽の長にくらべて切りて、牛の角のやうにたわむべし。初雪のあした、枝を肩にかけて、中門よりふるまひて参る。大みぎりの石をつたひて、雪に跡をつけず、あまおほひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄に寄せかく。禄を出ださるれば、肩にかけて、拝してしりぞく。初雪といへども、沓の鼻のかくれぬほどの雪には参らず。あまおほひの毛を散らすことは、鷹は、よわごしをとることなれば、御鷹のとりたるよしなるべしと申しき。
花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけむ。長月ばかりに、梅の作り枝に雉を付けて、君がためにと折る花は、時しもわかぬといへる事、伊勢物語に見えたり。つくり花はくるしからぬにや。
翻訳
岡本関白家平公が、盛りの紅梅の枝に、雉ひと番を添え、この枝に結いつけて参上すべき由、御鷹飼である下野武勝にお命じになられた際、武勝が、花の咲いた枝に鳥をくくりつける作法は存じ上げません、一枝に二羽の鳥をつけるというのも聞いたことがございません、と云うので、料理番にお尋ねになり、更に周囲の何人かにもお訊きになった上で、改めて、ならばお前の思うように結いつけて差し出すがよい、と仰られ、武勝は花のついていない梅の枝に一羽の雉だけを添えて差し出した。
武勝はこう申し上げた、雉を梅の枝につけるのでしたら、蕾の枝かさもなくば花の散った枝につけます、五葉松に結いつけることもございます、枝の長さは七尺ないし六尺と決められておりまして、いったん斜めに切って裏返してまた五分切ります、その枝の真ん中に鳥を結わえるのでございます、枝も鳥をくくりつける枝と留まってるかに見せる枝とはそれぞれ違い、これも決まっております、つづら藤の割れていないもので二ヶ所を留めます、藤の先端は鳥の火打羽の長さに揃えて切り、牛の角のように曲げるのがよいと云われております、初雪が降った早朝に、その枝を肩に担ぎ、中門より威儀を整え参上いたします、軒下の石だけを伝い歩き、雪に足跡ひとつつけぬよう細心の注意を払った上で、雨覆いと云われる部分の鳥の羽を少々むしり散らして、二棟の欄干に寄せかけておきます、御褒美に衣を御下賜された折には、肩に掛け、恭しく拝礼して後退出いたします、初雪とは云うものの、沓の先も隠れないほどの雪であれば参上いたしません、雨覆いの毛をむしり散らしておきますのは、鷹というものは鳥の弱った腰を狙い捕まえるものですゆえ、貴方様の鷹がとらえたものでございますよ、という印なのでございます、と。
花の咲いた枝には鳥をつけてはならないというのは、いったい何を根拠にしているのかしら。九月頃、造花の梅枝に雉を結わえて、あなたのために手折った花は、季節とは無縁です、と詠んだ歌が伊勢物語にあるのにねぇ。それとも、造花ならお構いなしということなのかしらん。
註釈
○岡本関白
近衛家平。岡本に邸宅があったのでこう呼ばれた。
大藪春彦の拳銃の描写を読んでいるかのような、マニアックな恍惚感が漂う段です。
兼好法師は職人気質をことのほか愛していますが、さすがにここまでになるといささか辟易している感もなきにしもあらず。
様式美というものは、とことんそれこそ無意味の域にまで形骸化した時、はじめて虚ろな輝きを放つもの。
私は様式美が大好きです。