【徒然草 現代語訳】第六段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

わが身のやんごとなからむにも、まして数ならざらむにも、子といふものなくてありなむ。

前中書王、九条太政大臣、花園左大臣、みな族絶えむ事を願ひ給へり。染殿大臣も、子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるはわろきことなりとぞ、世継の翁の物語にはいへる。聖徳太子の、御墓をかねてつかせ給ひける時も、ここを切れ。かしこをたて。子孫あらせじと思ふなりと侍りけるとかや。

翻訳

高貴な身分の生まれなら無論のこと、ましてや物の数に入らぬほどの賤しい身の上であっても、子供などというものはいないに越したことはないだろう。

前中書王、九条太政大臣、花園左大臣といった方々は、皆さん口を揃えて一族が絶えることを願われておられた。染殿大臣も、ご子孫がおありにならないことが美点。子子孫孫が落魄なさってはみっともなくて目も当てられない、と「大鏡」で云われている。かの聖徳太子も、生前にお墓をお作りになった際、ここを切れ、あそこを詰めよ、子孫など無用と思うておると仰られたとか。

註釈


第四段とは逆に、当時こんなふうに思ってる人はほとんどいなかったはずです。上も下も、生きることイコール子孫を残すことですからね。そのために色恋にうつつをぬかし、巧い歌が詠めるよう精進したのです。
この段も我田引水、自己正当化の色濃厚です。誰しも若い時分は、孫引きしたり虎の威を借りて自分を大きく見せたがるもんですよ。
染殿大臣の挿話は、実は「大鏡」には見当たりません。兼好の記憶違いかハッタリかは、微妙なところ。「大鏡」を持ち出せば、誰しも納得せざるを得ませんからね。聖徳太子のネタも作りっぽいなー。仮に太子がそう云ったとしても、おそらく意味合いが違っていたと思います。


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