【徒然草 現代語訳】第十八段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

人は、おのれをつづまやかにし、おごりを退けて財をもたず、世をむさぼらざらむぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるはまれなり。

唐土に許由といひつる人は、さらに身にしたがへるたくはへもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、或時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしがましとてすてつ。また手にむすびてぞ水も飲みける。いかばかり心のうち涼しかりけ。

孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕には是にふし、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、しるしとどめて世にも傳へけめ、これらの人は、語りも傳ふべからず。

翻訳

人は、我が身をつましくし、豪奢を避け財産を持たず、この世の利を貪らずしてはじめて高潔と云える。古来より、賢者が富豪であったためしはまずない。

支那に許由という人がいたが、かの人にいたっては身につけた貯えすらなく、水でさえも手で掬い飲んでいたのを、見かねた者が瓢なるものを与えたところ、ある時、木の枝に掛けてあったのが、風に吹かれて鳴ったので、耳障りだと棄ててしまった。そうしてまた以前のように、手で掬って水を飲んでいたという。どれほど清々しかったことだろう。

孫晨は、冬に夜具がなく、ただ藁が一束だけあったのを掛けて寝て、朝にはそれを片付けてしまった。支那の人たちは、この姿在りように敬服したからこそ書き記して後の世に遺したのだろう、果たして本朝の人だったらどうかな。

註釈


日本人て、七百年前からこれっぽっちも変わってないんですね。


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