
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて、教相の人の師する僧有りけり。気の上る病ありて、年のやうやうたくる程に、鼻の中ふたがりて、息も出でがたかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目、眉、額などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見えけるが、ただ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて死ににけり。
かかる病もあることにこそありけれ。
翻訳
唐橋中将という人の息子に、行雅僧都といって仏法の教理を学ぶ者たちの師匠にあたるお坊さんがいたそうだ。のぼせの持病があり、年とるにつれ、鼻の穴が塞がって息をするのも難儀になってきたので、八方手を尽くして治療を試みたもののはかばかしくなく、重くなる一方で、とうとう目、眉、額までもが腫れ上がり、それが垂れ下がって顔を覆ってしまって何も見えないほどにまでなったのは、二の舞のお面さながらの醜さ恐ろしさ、そのうちいよいよ鬼の面相となり、目はなんと頭の天辺に、額のあたりが鼻になるなどしたため、そうなってしまってからは内輪の者すら避けて引き籠っていたが、長患いの末やがて重篤となり死んだという。
こんな奇態な病もあればあったもんだ。
註釈
○唐橋中将
源雅清。鎌倉時代初期の公卿。
○たくる
闌る。盛りを過ぎる。
○二の舞
舞楽のひとつ。老人と女で舞う滑稽な舞。女は醜い疫面をつけて舞う。「二の舞を演ずる」もしくは「二の舞を演じる」の語源。ちなみにたまに耳にする「二の舞を踏む」は「二の足を踏む」の間違った用法。
こういう段がさらっと挿入されているので「徒然草」はクセになるんですよ。
日野日出志さんが描いたら、世にも恐ろしい一作に仕上がりそうです。
追記
人の顔は重力には逆らえまへん。