
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
鎌倉中書王にて、御毬ありけるに、雨降りて後、いまだ庭の乾かざりければ、いかがせむと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸のくづを車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひなかりけり。とりためけむ用意ありがたしと、人感じあへりけり。
この事をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、かはきすなごの用意やはなかりけると宣ひたりしかば、はづかしかりき。いみじとおもひける鋸のくづ、賤しく、ことようのことなり。庭の儀を奉行する人、かはきすなごをまうくるは、故實なりとぞ。
翻訳
鎌倉中書王こと六代将軍宗尊親王の御屋敷で、蹴鞠の催しがあった際、折悪しく雨が降った後で庭がまだ乾いていなかった、どうしたものかと額を集めていると、佐々木隠岐入道政義殿が、おが屑を荷車に積んでたんまりと献上なさって、それを庭一面に敷き詰められ、泥にまみれる心配はなくなった。こんな時のためにおが屑を蓄え準備しておいた心掛けは実に見上げたものよと、人々は感心しきりであった。
この話をある人が話題にした折、吉田中納言が、時に乾いた砂の用意はなかったのかと仰られたから、すっかり恥じ入ってしまった。当意即妙と思われたおが屑であったが、乾いた砂には及ぶべくもない、下卑ており同時に似つかわしくなく異様なものであった。お庭の整備担当者にとって、乾いた砂を常に準備しておくのはかねてよりの作法だそうだ。
註釈
○鎌倉中書王
かまくらのちゅうしょおう。六代将軍宗尊(むねたか)親王。後嵯峨天皇の第一皇子。中書とは中務の唐名。宗尊親王は中務卿でもあられた。
○吉田中納言
諸説あり。藤原藤房、もしくは藤原冬方あたりが有力。
めんどくさー、のひと言ですね。
追記
様式美というものが美しいと見えるなら、そこに薄笑いにも似た諦念と芝居がかったおののき、つまり貴族的空虚を秘めているからでしょうね。