
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
若き時は、血氣うちにあまり、心物にうごきて情欲多し。身をあやぶめてくだけやすきこと、球を走らしむるに似たり。美麗をこのみて寳をつひやし、これをすてて苔の袂にやつれ、いさめる心さかりにして、物とあらそひ、心に恥ぢうらやみ、このむ所日々にさだまらず。色にふけり情にめで、行ひをいさぎよくして百年の身を誤り、命を失へるためし願はしくして、身のまたく久しからむことをば思はず、すける方に心ひきて、ながき世がたりともなる。身をあやまつることは、若き時のしわざなり。
老いぬる人は、精神おとろへ、あはくおろそかにして、感じうごく所なし。心おのづからしづかなれば、無益のわざをなさず、身を助けて愁なく、人のわずらひなからむことを思ふ。老いて智の若き時にまされるこの、若くしてかたちの老いたるにまされるが如し。
翻訳
若い時分は血気盛んで多感、情欲がたぎっている。ついつい危ない橋を渡り砕け散ってしてしまうのは、玉を転がすのに斉しい。キラキラしたものや華やかなものに湯水のごとく金をつぎ込み、かと思えばそれら全てを投げ棄てて出家してみたり、勇猛果敢で常に誰かと競い合い、ある時には心に恥じて人を羨んでみたりする、かくの如く日々心は定まらない。情事に耽り愛欲に溺れ、後先かまわず行動しては身を持ち崩してあたら百年あったはずの命を縮めた者を崇め真似、まだまだ生きられるとは露ほども思い及ばず、心のおもむくまま好き勝手にやりたい放題やって後々の語り草になる。道を誤り身を滅ぼすのは、これおしなべて若気の至りである。
方や老人は気力が萎え、淡々としてこだわりがなく、何かに激しく心揺さぶられることがない。心が波立たないから無益なことには手を出さず、養生を欠かさないので案じ事もなく、人様にご迷惑をおかけしないよう心掛ける。年取ると自然若い頃に勝る智恵がつくが、それは若者の見た目が爺さん婆さんに勝っているのと同じことだ。
註釈
後半は、残念ながら今のご時世には通用しませんね。
「若い」と「若々しい」を取り違えたら、ただの迷惑老人です。
追記
若い頃散々やんちゃやった者に限って説教爺さんや講釈婆さんになるのは、もはや定理のようなもんですね。