【徒然草 現代語訳】第百九十三段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はむ、さらにあたるべからず。

つたなき人の、碁うつことばかりにさとくたくみなるは、かしこき人の、この藝におろかなるを見て、己が智に及ばずと定めて、萬の道のたくみ、我が道を人の知らざるを見て、おのれすぐれたりと思はむこと、大きなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禪師、たがひにはかりて、おのれにしかずと思へる、ともにあたらず。

おのれが境界にあらざるものをば争ふべからず、是非すべからず。

翻訳

愚鈍な人が、他人を推し量り、己の頭の程度が解ったと思うのは、大いなる見当違いである。

十人並みの人で、どういうわけか囲碁を打つのだけは巧い人が、頭がいいのに囲碁が下手な人を見て、なんだかんだ云ってもあの人も俺の智恵には及ばんなとひとり決めしたり、あらゆる専門の職人が、その分野においては誰も自分には敵うまいと思い込むのは、甚だしい勘違いであろう。万巻の経典に通じ教義一辺倒の学僧と、もっぱら座禅のみの実践修行僧が、お互いに相手の力量を読み合って、やはりあいつは自分より劣っていると見下すのは、どちらも的外れである。

自分の持ち場外のことで人と争うのは禁忌、良し悪し優劣をつけるべきではない。

註釈

○境界
読みは「きょうがい」。


一億総一言居士の時代に読むと、感慨も一入の段ですね。

追記

一億総白痴化と云われて半世紀経ちましたねぇ。


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