【徒然草 現代語訳】第百九十六段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

東大寺の神輿、東寺の若宮より歸座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿大将にて、さきをおはれけるを、土御門相國、社頭にて警蹕いかが侍るべからむと申されければ、随身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候とばかり答へ給ひけり。

さて後に仰せられけるは、この相国、北山抄を見て、西宮の説をこそ知らざりけれ。眷属の惡鬼惡神を恐るる故に、神社にて、ことにさきをおふべき理ありとぞ仰せられける。

翻訳

東大寺向山八幡のお神輿が、東寺鎮守の若宮八幡からお戻りになる際、源氏の公卿たちがお供なさっておられた中、当時久我通基公は近衛大将であられたが、家来に先祓いをさせてお通りになっていたのを太政大臣土御門定實公がご覧になり、「神社の前で先祓いするとはいかがなものか」と難癖をつけたところ、「随身の立ち居振舞いにつきましては、武家の者の心得にございます」とのみお答えになられたという。

さてそれからしばらくして通基公はこう仰られたそうだ、「あの太政大臣、北山抄しか読んどらんようだな、西宮記に記されている説はどうやらご存じないと見える。八幡宮の眷属である悪鬼悪神どもは恐るるべき存在、それゆえ神社においては先祓いをせねばならぬ道理があるものを」と。

註釈

○この殿
源通基。

○土御門相國
源定実。

○北山抄
ほくざんしょう。藤原公任が書いた有職故実の書物。

○西宮の説
西宮記。源高明が書いた有職故実の書物。


前段とこの段の源通基の落差に、涙を禁じ得ません。
とは云うものの、通基が指摘したという随身の振る舞いについては、実のところ西宮記の中には見当たらないそうで、はったりだった可能性もなきにしもあらずなんですよ。公卿たちも、けっこうギリギリのところで生きていたんですね。

追記

田圃で寝間着のままお地蔵さまを洗う気の触れた上流貴族の姿は、私にとって、鎌倉時代を偲ぶよすがとなる鮮烈な場面のひとつとなっています。


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