【徒然草 現代語訳】第百五十四段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたはものどもの集りゐたるが、手も足もねぢゆがみ、うちかへりて、いづくも不具にことやうなるを見て、とりどりにたぐひなき曲者なり。最も愛するに足れりと思ひて、まもり給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくくいぶせく覺えければ、ただすなほにめづらしからぬ物にはしかずと思ひて、歸りて後、この間植木を好み、ことやうに曲折あるを求めて目をよろこばしめつるは、彼のかたはを愛するなりけりと、興なくおぼえれば、鉢に植ゑられける木ども、皆堀りすてられにけり。さもありぬべきことなり。

翻訳

この資朝卿が、東寺の門の下で雨宿りなさっておられた折、そこには不具者たちが大勢集まっていたのだが、どいつもこいつも手足がねじ歪み反り返ったりしており、揃いも揃って不具で異形なのを目の当たりにして、一人一人皆違う比べるものとてないような曲者たちだ、おおいに愛でる価値があるとお思いになり、じっくり見守っておられるうち、程なく興醒めし、醜い不気味なものとしか感じられなくなり、やはり素直で真っ直ぐなものに限ると、帰宅されるや、このところ植木に凝って、それも尋常でない歪曲のあるものばかり求めては愛でていたのは、あの不具者たちを愛おしんだのと大差ないと一気に熱が冷め、鉢に植えられていた木々をひとつ残らず掘り起こして棄てておしまいになったそうだ。いかにもあのお方らしいことである。

註釈

○東寺
教王護国寺。真言密教の道場として知られる。


資朝ネタ第三弾(これでひと区切り)。
南北朝時代を彩った群雄たちの中でも、ひときわギラリと光る日野資朝という人物を味わっていただけたら幸いです。

追記

親鸞が日野家の出身と云われていますね。


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