【徒然草 現代語訳】第百六十七段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

一道に携はる人、あらぬ道のむしろにのぞみて、あはれ、わが道ならましかば、かくよそに見侍らじものをといひ、心にも思へること、常のことなれど、よにわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨しくおぼえば、あなうらやまし、などかならはざりけむといひてありなむ。我が智をとり出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙をかみ出だすたぐひなり。

人としては、善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他にまさることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才藝すぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひことばに出でてこそいはねども、内心にそこばくのとがあり。つつしみてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、わざわひをもまねくは、ただこの慢心なり。一道にも誠に長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に物に伐ることなし。

翻訳

ひとつの分野に通暁している人が、畑違いの寄合に隣席し、あ~あ、これが私の専門領域ならこう黙って傍観しているなんてありえないのになぁ、とつい口に出したり、云わずとも心で思ったりするのは、多々あることだけれど、まったくもっていただけない。未知のジャンルが羨ましく思えるなら、いいなぁ羨ましい!私も習ってくればよかった!と云えばいいだけのこと。ちょっとばかり智恵のあるのを鼻にかけ振りかざして他人と競いあうのは、角のある動物が角傾けて闘おうとし、牙のある獣が牙剥き出しにして襲いかかろうとするのと大差ない。

人として肝要なのは、善行をひけらかさず、他人と争わないこと。そもそも人に勝っていることがあるなら、それ自体ハンディなのだから。高貴な出自も、学芸に秀でているのも、先祖の名声にしても、他人より優っているところがあると思っている人は、言葉にしないまでも、内に重い罪を抱えていることになる。よくよく自戒してなかったことにせねばならない。間抜けに見え、人から蔑まれ、ついつい禍を引き寄せてしまうのは、ただひとつこの慢心によるもの。真に道を極めた者なら、己の欠点を重々承知しており、常に高みを目指すがゆえ満足というものとは無縁で、終生人に誇ることはない。

註釈

○をこ
痴。バカのこと。

○伐る
ほこる。自慢する。


これまた有名な段のひとつ。
承認欲求が野放しにされ、炎上が商売になり、「晒す」文化がここまで蔓延してしまうと、豚に真珠かもしれませんね。

追記

こんな世の中にも発見はあり、超一流はSNSやらないというのもそのひとつ、ではないでしょうか。一流と超一流の見分けが容易になったのは歓迎すべきですが、反面、一流と二流の境界線が曖昧になってしまっているのは、(若干)困ったもんだと思います。


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