源氏物語 現代語訳 夕顔その8


 路はすっかり露に濡れそぼって、非道く朝霧が立ちこめていますから、ここがどこだかはっきりせずたださ迷っているだけのような錯覚に陥られました。命あった頃と違わぬお顔で臥している様子、共に被って眠ったご自身の紅の御衣を纏っていた姿などを思い浮かべるにつけ、道々またしてもいかなる前世の契りであったのかとおののかれます。お馬に乗られることすら覚束ないご様子に、また惟光が脇よりお支え申し上げておりましたが、堤にさしかかった頃お馬からずるりと滑り落ちるように降りられ、激しい虚脱感に襲われてしまわれた挙げ句、「このような道の空の下で行き倒れるのかもしれん。とうてい家まで辿り着けそうにないよ、そんな気がする……」そう仰られますので、惟光も気が動転し、私がしっかりしてさえいれば、どんなに駄々を捏ねられても絶対にあのような場所にお連れするようなことはしなかったであろうと後悔するにつけ、心がざわつき、慌てて川の水で手を漱いで、清水寺の観音さまに手を合わせましたが、なす術もなく呆然とするばかりです。それをご覧になられていた源氏の君も、気持ちを奮い起こされ、心で何度も念仏をお唱えになりながら、改めて介添えを受られけつつどうにか二条にお戻りになられました。

 不審極まる御夜歩きを、誰もが「とても見ていられません。ここ数日、更に気もそぞろになられて、頻頻と夜忍び歩かれておられながら、昨日なぞはことのほかお顔色がすぐれませんのに、なぜまたお出掛けになられたりしたのでしょう。」と口々に嘆いております。

 実際、横たわられるやそのまま寝付かれ、非道く苦しまれた挙げ句、二三日も経ちますと見た目にも歴然と弱りきってしまわれました。宮中にもご報告が上がり、お耳にされたお上は甚だしくお嘆きになられます。各方面の神社仏閣ではご病気平癒のご祈祷が休みなく続けられます。祭、お祓い、修法等々ありとあらゆる手立てが尽くされます。この世のものとも思えぬほどの不吉なまでに類い稀な美貌をお持ちですので、薄命でいらっしゃるのかもしれないと、巷の人々はしきりと噂し合っております。

 苦しまれておられる最中にも、源氏の君はあの右近を呼び寄せられ、ご自身の近くに局を与えて仕えさせております。惟光は胸騒ぎがして内心決して穏やかではありませんが、それでもつとめて冷静に、頼る宛てもないと思っている右近に力を貸し、なにくれと助けてやりながらお仕えできるよう世話しております。源氏の君もわずかながらでも具合がよろしい時には、出来るだけご用をお申し付けになられますので、少しずつ朋輩との付き合いも増え二条院に馴染んでまいりました。喪服をよりいっそう黒くして、決して美人というわけではありませんが、まず十人並みと云っていいほどの若い女です。「奇怪なあまりに短過ぎたご縁に引かれるのか……、私ももうそう長くは生きられまいね。長い年月頼りにしていた方を亡くして心細くしてらっしゃるせめてもの慰めに、もし私がこの先生き長らえることが出来たなら、あれこれ世話してあげようと考えていたけれど……。もう間もなくあの方を追ってここを立ち去ってしまいそうなのが、返す返すも無念でならないよ。」そう呟かれて弱々しく涙を流されますので、右近も、亡くなってしまわれた方はさておき、源氏の君の存在がいかに尊いか身をもって知るのでした。

 二条院の人たちは、足が宙に浮いたかのように慌てふためいております。宮中よりの御使者は雨脚にもまして頻繁に出入りいたしております。お上がことのほか悲嘆に暮れておられるご様子を耳にされ、あまりにもったいなく、せめてお気持ちだけでも強く持とうとなされます。右大臣邸は右大臣邸で手を尽くされ、右大臣自ら毎日お見舞いにいらっしゃり、様々なご処置を講じられたお蔭か、かれこれ二十日ばかり重篤な状態が続いておられましたけれど、特段後遺症もなく徐々に回復に向かわれているようです。折よく穢れへの慎みが明ける三十日の夜を目処に、ご心労をおかけしたことへの申し訳なさから、宮中の御宿直所へと参られます。右大臣はご自身の御車でお迎えにおいでになり、物忌みをはじめ諸々の潔斎を厳かに執り行わせます。源氏の君はご自分がご自分でないような、まるで異なる世界に生まれ変わったかのような感覚をしばらくお持ちでいらっしゃいました。

 九月廿日前後には、すっかり持ち直されましたが、ご病気上がりのいたく窶れたお顔にはいっそ凄みのあるなまめかしさが漂い、ともすれば心ここに非ずの呈で嗚咽されては泣かれることもおありのようです。そのようなお姿を拝見して咎め立てする者もおり、物の怪に取り憑かれてしまわれたかとまで云う者もおります。そんなあるのどかな夕暮れ時、右近をお召しになられ、徒然に物語などなさいます、「今もって不可思議でならないのは、なぜあそこまで頑なに素性を隠そうとなさったのか。海人の子と仰っていたけれど仮にそうだとしても、私があれほどまでに想いを寄せたことを斟酌なさらず、壁を作っておられたことが残念でならない。」と仰います、「どうして深くお隠しなんぞいたしましょう。いつかは名乗るほどのものではないお名前をお聞かせするおつもりだったのですよ。なれ初めからして謎めいたこれまでご経験されたことのないような出逢いでしたから、『とても現実とは思えないわ。』と零されておいででした、『お名前を隠されるのはきっとご身分を憚ってのことなのね。』と仰いつつも、『所詮はかりそめのお遊びだからいつもいろんなふうに取り繕われるんだわ。』と終始気に病んでおられました。」と申しますので、「ずいぶんと詮ない探り合いをしたものだねぇ。私にはそこまではっきり距離を置くつもりなぞなかったのに。単にこんな許されぬ恋路に踏み込んだことがなかっただけなのに。お上のご心中はもとより、包み隠さねばならないことも多々あり、些細な軽口ひとつ口にするのもなにかと不自由で、一挙手一投足がとやかく取り沙汰される厄介な立場なのだけれど、あの幻のような夕べから不思議にずっと面影がちらついて、そこからあそこまで急速に思い入れたのも、こうなる定めのなせるわざであったかと思うと今更ながらに感じ入るものがあるし、同時にやはり身を切られるほど辛い。これほどまでに短いお付き合いでありながら、何故ああまで愛しいと心の底から思えたのか。さぁもっと詳しく教えておくれ。今となっては隠しだてすることなぞ何ひとつないのだから。七日毎に供養の仏を描かせても、このままでは誰の為なのか分からないと思ってしまうからね。」そう仰いますと、「もうなにもかもお話し申し上げます。当のご本人が口をつぐんでおられたことを、お亡くなりになられたからといってぺらぺらと喋るのはあまりに軽々しくはしたないと考えてのことでございました、ご両親は早くにお亡くなりになりました。お父上は三位の中将と云われた方でした。お嬢様をそれはそれは可愛がっておいででしたが、いかんせんご自身のご身分がご身分でしたから将来を憂慮されておられるうちに、不運にも命さえ絶えてしまわれたのです、ちょうどその頃ちょっとした伝があり、頭中将がまだ少将であられた時分に見初められまして、三年ほどでしたでしょうかしっかりしたお気持ちで熱心に通われておいででしたが、去年の秋口に、ご実家の右大臣邸より身も凍るようなことを申し渡され、ご存じの通り無類の怖がりでいらっしゃいましたので、身も世もあらぬほどおののかれ、西の京にあります乳母の住まいにほうほうの体で身を隠されたのでございます。その家ときた日には、それはもうみすぼらしくなにかと不都合がございましたので、更に山里方面へと移ろうとなさいましたところ、折悪しく今年からそちら方面が方忌みにあたって塞がっており、たまさか方違えのためにあのような無粋な仮宿におられました際に、貴方様の目にとまってしまったと嘆かれておいででした。まずいらっしゃらないほど控え目で慎みがあり、何方かを慕っておられる気配を察知されるのが恥ずかしくてたまらないといった質でいらっしゃいました、一見素っ気ないくらいに平静を装われて接しておられましたけれど……。」とそんな風に語り始めましたので、やはりそうであったか!と思い当たる節節に、源氏の君は改めて愛しく思われます。

「時に幼い子を行方不明にしてしまったと頭中将が憂えていたが、そういう子がいたのかね。」と問われます。「はい、左様でございます。一昨年の春にお生まれになりました。女のお子様で、とっても可愛いんですよ。」と打ち明けました。「ではその子は今何処にいるのかね。誰にも知らせず、ぜひ私に預からせてはくれまいか。あんな風にあっけなくこの世を去ってしまわれた方の形見として引き取れたなら、こんな嬉しいことはない。」そう仰います。「本来であればあの中将にもお知らせせねばならぬところだが、無益な恨みを買いかねないからね。何はともあれ、養育することは責められた筋ではない。その側にいる乳母とやらにも巧く云い含めて連れてきてもらいたい。」と熱をこめてお話しになります。「そうなればこれに勝る喜びはございません。あんな辺鄙な西の京なんぞでお育ちになるのはあまりにおいたわしくて。きちんとお世話なさる方が何方もいらっしゃいませんので、当面あのような所にお住まいいただいているだけなのでございます。」などと申し上げました。


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