源氏物語 現代語訳 帚木その2


 とりどりの身の上話に花を咲かせながら、

「世間の基準に照らせば問題ないように見えます者でも、いざ家政を任せる妻として頼れる女を撰ぼうとすると、数多くいる中でも一人に決めるのはなかなか難しいものです。男が朝廷に奉仕し、めざましい世の重石となる場合でも、それだけの才と徳を兼ね備えた者を選抜するのはかなりの困難を要するでしょう。仮に有能であっても、政局は一人二人の力で動かせるものではありません、上に立つ者は下に補佐され、下の者は上に付き従い、多岐にわたる政務を委ね委ねられてこなしてゆくことになるでしょう。

 方や家という狭い世界の主は一人です、それに相応しい女となりますと、欠けていては立ちゆかなくなる才覚があれこれあるのです。こちらがよくてもあちらはちょっと……といった具合にどうもしっくりこないことがほとんどで、十人並みであってもそこそこ及第点がつけられる女が少ないゆえに、私なんぞもあながち好き心出来心だけで女を選り好みしているわけではないのですが、この女に託そうと心に期するものがありますから、どうせなら私が力を入れて教え込んだり、矯正したり、またごまかして取り繕ったりするような手間と労力の要らない理想通りの女はいないものかと選別に余念がないために、こんな風にいつまでたっても決め切れずにいるんでしょうね。

 必ずしも願ったり叶ったりの女でなくとも、袖すり合うもなんとやらではありませんがそのことだけをよすがにして別れずにいる人は誠実に見えますし、いい関係を続けてゆけている女の側にもきっと美点があるにちがいないとつい感心してしまいます。ただ、世に溢れる男女の話を見聞きしますだに、内実は想像を越えた奥行きのある間柄なんてものはありはしません。いわんや貴方たちのような、最上の妻を娶った場合、果たして首尾よく及第出来るほどの女がおりますでしょうか。

 器量もよく年も若く、塵ひとつつかぬよう身仕舞いし、文を認めるにあたっても言葉撰びが悠長で、ほんの僅かな墨で男心をくすぐり、しかとこの目で姿を見たいものよと焦らせ、一言二言でも耳にしたいと云い寄れば押し黙ってしまう、この手の女が七難を隠すのです。すっかりおしとやかな女と思い込んでからめとられているうちに、上手に甘えてくる。これぞ難のはじめです。妻としての役目の中で、間違ってもないがしろにして欲しくない内助の功という面から見ますに、感受性が豊か過ぎて何かにつけて歌を詠む傾向があり、やたらに趣ばかり重んじるといった性癖は特になくてもかまわないよう思えるのですが、とは云うものの実務一辺倒で振り乱した髪を耳掛けした美意識のかけらもないおかみさんが、ひたすら家のことにのみかまけているのもいただけません、男たるもの朝な夕な出掛ける用事があり、その折々に公にせよ私にせよ他人の立ち居振舞い、いい事も悪い事も見聞きするものです、そういったことをわざわざ心を許してもいない相手にぺらぺら喋ったりするでしょうか、身近なわかってもらえる相手に聞いてもらいたいと思うからこそ、話しながら腹を抱えて笑いもすればふと涙を流すこともあるのです、もしくは義憤にかられ自分の心の内だけに留めておけない事が積もり積もった時も、こんな女に聞かせたところで仕方がないと顔を背け、思い出しては独り笑いし、「嗚呼……」とついため息が零れてしまう、そうなってはじめて「どうされました?」などと間抜け顔で覗き込まれた日には、不甲斐なさに思わず天を仰ぎたくなります。

 もっぱら子供っぽさが抜けない、物静かで控え目なだけの女に対しては、男も一所懸命面倒を見るでしょう。不満に感じる点が多々あっても教育のしががいがあると思うかもしれません。差し向かいで逢っている分には、確かに可愛いらしいですし、すべての罪が帳消しになるような錯覚をおぼえますが、いざ離れて用事を頼んでも、折々への対処が些細なことであっても重要事項であっても一存で判断出来ず、機転が利かないのは、実に情けなくまた頼りにならないといった欠点がいっそう悩ましく思えてしまいます。一方で、日頃は愛想なしのぶっきらぼうな女が、折々に打てば響くような対応をしてくれることもあるんですよねぇ。」等々、さしもの百戦錬磨の評論家殿もこれといった結論に至れず頭を抱えているご様子です。

 「この際上流中流にこだわるのはやめましょう。見てくれなんぞはなおのこと。いたって面倒臭いねじけ者でさえなければ、ただ素直で堅実、当たりがやわらかく嗜みのある女を人生の相棒として選択するしかないんじゃないでしょうか。そこにさらに家柄や細やかな気遣いが加味されていれば儲けものと感謝し、少しばかりの欠点は敢えて欠点と思わず無理に直そうともしない。心置きなく寄り掛かれるような質ならば、なんの、外見の味わいなんぞは後からついてくるものですよ。

 ほらいるでしょう、妙におしとやかぶって、恨み事ひとつ口にせず内に秘め、素知らぬ顔でうわべはいかにも貞女を装い、想い余って窮すると、唖然とするような台詞やどきりとする歌を残して姿を消し、想い出の品々を置き去りにして、山里深く、もしくは訪れる人とていない海辺に隠れ住む女が。子供の時分、女房たちが夢中になって読む物語に耳を傾けておりましたら、幼心に哀れをもよおし、なんと業の深い……と泣き濡れたものでしたが、今にして思えば、いかにも芝居じみていて作り物臭い感じがしますよ。いかなる困難に直面しようと、一途に想いを寄せる男を打ち捨てて、いたずらに混乱させ、気を引こうとした挙げ句、生涯にわたる負い目となってしまうのは、はなはだ愚かなことですねぇ。

「なんて物わかりのいいお方でしょう」などと散々持ち上げられているうちに、すっかり自分もその気になってきます、そういう女が決まってそのうち尼になるのです。出家しようと思い立ったあたりでは今までになく心が隈なく澄みわたっているようで俗世に心残りなぞありはしません。「なんということでしょう。よくぞご決心なさいましたねぇ」とか仲のよかった友人がやって来て哀れんでくれたり、必ずしも憎んでばかりではなかったかつての恋人が風の頼りに耳にして涙したというようなことがありますと、婢や古参の女房たちは「あのお方にはお心がおありでした。なのに貴女様はこんなお姿に……」と今更のように嘆きます。そうなりますとつい自身の削いだ頬髪をまさぐり、途端に心がぐらついてきて、泣きたくなったりするのです。いくら我慢していても、折々零れ落ちはじめた涙を止める手だてはありません、あれこれと後悔が胸を過るようになり、御仏も煩悩の多い奴めとお思いになられるにちがいありません。俗世の汚れにまみれていた頃より、宙ぶらりんな出家状態でいる方が、むしろ悪道をさすらう羽目にもなりかねません。仮に前世からの深い因縁があり、尼になってしまう寸前で救い出したとしても、出家騒ぎが後々までも尾を引きぎくしゃくしてしまうことになるでしょう。

 いい時も悪い時も互いに寄り添い、あんなことやこんなことがあろうと見て見ぬふりを貫く中にこそ夫婦関係の真髄があるんじゃないでしょうか、夫にせよ妻にせよ出家云々の騒動を経てしまうと、いつまでも心に痼が残りどうしても以前のようには振る舞えなくなります。方や世間並にあちこちで浮気をしでかす男に怒り狂いそっぽを向いてしまう女、これがまたみっともないことこの上ない。余所の女に気移りしても、出逢った当時の謹み深さ初々しさを思い出せば、なんのかんの云っても初めての妻を心の拠り所にしているはずなのに、女がいたずらに動揺し騒ぎ立てた挙げ句絶縁となる場合があるのです。

 何事によらず穏便に、恨みに思うことがあっても、ふふ存じておりますよといった呈を装い、たとえなじりたくなってもそれとなくさらりと口にする程度に留めておけば、その都度愛しさが増すにちがいありません。要は男心なんぞ女のあしらい方次第でどうにでもなるのです。女があまりに信用しきって放任しているのも、親密で微笑ましいように見えますが、自ずと軽んじられてしまうきらいもあります。繋がない舟を風任せにするという喩えにもなりましたように、これは女の方が道理を外れていると云えましょう。そうはお思いになりませんか」と振られ中将も思わず頷きます。

「ひとまず相手を美人で嗜みもあると認め得心している男に、不誠実で浮気者の疑いがあるとすれば、それこそ大問題ではなかろうか。女が自分に非がなく黙認してさえいえば、男もいずれ改心するだろうと見られているけれど、なかなかそうは問屋が卸さないものなのだね。とにもかくにも、背信行為があったとしても、大きく構えてぐっと堪えるほかあるまいね。」そう云いながら、自分の妹姫の置かれている境遇がまさにこの法則にあてはまると合点するものの、肝心の源氏の君がうとうとと眠っておられ話題に口を挟まれないのが、まったく張り合いがなくじれったく感じられてなりません。左馬頭は今や審判の第一人者となって独壇場です。中将はこの議論の成行を最後まで見届けようと熱心にやり取りなさっています。

「あらゆることに押し広げてお考えください。木工職人は心のおもむくままに様々な品を作成します、当座の慰み物で特に定型がないものであれば、一見気の利いた風な物でも、ほほぅこんな具合に作るのもありか、と時流に沿わせて形を変えてみた新味が目を引き、いたく面白がられたりもします。それが正式な、高貴なお方の調度品、装飾ひとつをとっても厳密な様式がある物を難なく作り上げることにおいては、やはり熟練の指物師による物は格の違いが歴然としています。

 また、絵所には絵の上手が大勢在籍しておりますが、下絵の墨描きに抜擢された者でも、次々に見させられては優劣をつけるのが難しくなります。ところが、誰も見たことがない蓬莱山、荒海に怒り狂う魚、唐国の猛々しい異形の獣、目には映らぬ鬼たちの形相等々のおどろおどろしい虚構の産物は、思うさま空想を羽ばたかせ一際目を丸くさせるように描くだけで、たとえ実物とは似通っていなくとも充分許されてしまうでしょう。方や、見慣れた山の姿、水の流れ、眼前の家々とそこに暮らす人々、これらをまさしく本物といった描き方をし、郷愁をそそり心が落ち着く景色をさりげなく加え、そこになだらかな稜線の山を深い木立の超俗の趣で重ね、手前の垣根の内の景物には細やかな配慮を巡らす、こういう物を巧者に描かせると勢いからして違い、未熟な者は到底及ばない点が多々あります。

 字を書くのも同様、深い内容があるわけでもないのに、やたらと点を延ばして走り書き、なんとなくそれっぽいのは、一見才気走って筋がいいように見えますが、やはり本流の書をきちんと習得した者が書いた物は、上辺の上手さこそ消えているように見えても、改めて二つを並べてみれば実のあるのはこちらであるのが判ります。

 ほんの些細な事ですらかくの如くでございます。ましてや人の心がその時々で波立ちそれが顔に出ていれば、見せかけの情愛なんてものを頼りにするのはもってのほかであると今や確信いたしております。と申しますのも、こういういささかお恥ずかしい昔話があったのでございます、この際ですからお話いたしましょう。」
そう云って左馬頭が膝を乗り出してきましたので、源氏の君もお目覚めになりました。中将も感心しきりで、頬杖をつき、差し向かいにお座りなられています。さながら法師が世の理をじゅんじゅんと説き聴かせる説教所めいた居心地で、若干くすぐったくなくもないのですが、こういう雰囲気になるとどうも銘々が隠していた秘め事を開陳したくなるものなのです。

「あれはまだ私の官位が今よりもっとずっと低い時分のことでした、当時そこそこ惚れた女が一人おりました。先ほどお話いたしましたが、容姿はまぁ十人並みといったところ、まだ私も移り気な若者でありましたので、この人を正式な妻としようなどとは考えもせず、いい拠り所とは思いながらも、今ひとつ物足りなさを覚えてあちこちで気を紛らせておりましたが、この女の悋気の凄まじさに辟易し、こういう態度に出ず、もっと鷹揚に構えててくれないかなぁと思いながら、こうまで執拗に疑われては鬱陶しくてかなわぬ、それにしてもこんな取るに足りない身分の私を見限らずよくしてくれるのは一体何故なんだろう……、と折々に憐憫の情にかられることもあり、追々自然と浮気心も鎮まるようになりました。

 この女がどんな女だったかと申しますと、ずっとやれそうにないと思い込んでいた事でも、なんとかこの人のためならとない智恵を絞りやってのけ、苦手としていた芸事もこの人を失望させないようにと全力で精進し、何くれとなく甲斐甲斐しく世話をやいてくれ、ほんのわずかでもこの人の理想に違わぬようにと努めてくれておりましたので、気の強い女とは思っておりましたが、どういうわけか私に靡いて従ってくれ、不細工な顔も私に邪険にされないよう精一杯化粧するようになり、他の男に見られたら私の面汚しになるだろと常に姿を隠しておりました、慣れ親しんできますと性格もそう悪くないと思えるようになりましたが、ただ一点だけ先ほどもお話いたしました悋気だけはどうにもこうにも耐え難いものがありました。

 その頃はこんな風に思っておりました、この女は私が怖くて仕方がないのだ、だからいつも顔色を窺っておどおどしているんだ、いっそのこと懲り懲りするようなことをしでかして魂消させたら、少しはしおらしくなり口うるさいのも止むだろう、こっちが真剣にお前の嫉妬には我慢の限界だもう別れようという態度に出れば、心底私と連れ添う心構えでいるなら懲りて改心するだろうとふと思い至りまして、ことさら冷たくあしらう芝居を打ち、いつもの如く悋気を責め立てました、「こうまで見苦しく嫉妬するかね、こんなんじゃ夫婦の縁がいかに深かろうともう終わりだね、これっきりと腹を括るならどうぞお好きなだけ疑えばよろし、それともまだこの先もずっと一緒にいたいと思うなら少々辛くとも辛抱し、適当なところで妥協するようにしたらどうだ、そうしてくれてさえいればこっちだってきっとまた惚れ直すだろうよ、そのうち私もそれなりに出世する、一人前になった時その傍らには並ぶ者とていない貴女がいることになるんだよ」云々、我ながら上出来なお説教だと悦に入り、いい気になって喋り散らしておりましたら、女がふと不適な笑みを浮かべ、「今の貴方は確かにぱっとしませんしうだつが上がりませんが、いずれ出世すると云うならそれはそうでしょう、そう先の事とも思えませんから喜んでその時を待ちましょう。そんなことは苦痛でもなんでもありません、それより何より辛い気持ちを持て余し、いつになったら心を入れ替えてくださるのだろうかとあてもなく待ち続けいたずらに長い長い年月を淡い期待を抱きながらやり過ごす方がどれだけ辛くしんどいか。仰る通りこの辺で別々の道をゆきましょう」と憎々しげに云い放ちました、私も頭に血がのぼり売り言葉に買い言葉で悪口雑言を並べ立てますと、女も後に引けない性分ですから、やおら私の指を一本ぐいと握り寄せてかぶり付きました、私はぎゃあぎゃあと喚き立て、「こんな傷をつけられた日にゃもう到底人前に出られたもんじゃない、確かに私はあんたの云う通りしがない小役人だが、こうなった以上まともな出世も叶わんだろうよ、かくなる上は出家するほかあるまいねっ!」と捨て台詞を吐いて、噛みつかれた指を折って家を飛び出しました。

指を折って逢っていた年月を数えてみれば貴女の欠点はこの折れた指ひとつではなかったよ、
よもや恨んだりすまいねと云いましたら、さすがに涙を溜め、
貴方の浮気癖は私の心の中でたったひとつの悪癖でしたこの折り目が貴方とのお別れの節なのですね

などと依然としてぐだぐだと文句を申します、そもそも本気で別れようと思っていたわけではありませんでしたから、しばらく放っておいて手紙のひとつも遣ることなく、呑気に遊び歩いておりました、そのうち加茂神社の臨時祭の舞楽の稽古をしておりました時分に、すっかり遅くなりたいそう霙が降りました夜のこと、銘々が帰路につく分かれ道で、つらつらと思い巡らせてみればこんな夜に帰るのはあの女の家よりほかにはありませんでした、内裏に泊まって独り寝というのも興醒めです、かと云ってもう一軒いたって鼻の高い気取り屋の女の家は行くと考えただけで寒さが募ります、あいつ今頃私のことをどう思っているのかなとふと様子見がてら寄ってみようという気を起こし、いよいよ雪となってきたのを払い払い向かいました、さすがにいささか体裁が悪く爪なんぞ噛んで気を紛らわしながら、そうは云うものの今夜あたりは日頃の恨み辛みも解けてなくなるんじゃないかと訪れてみましたら、灯りをほんのりと壁に向かって灯し、よれよれの普段着で肉厚のものを、大振りな伏籠に被せてあります、几帳も引き上げられ、どう見ても今夜あたりに私が来るのを待ち受けている様子でした。やはりな、としたり顔でほくそ笑みましたが、当の本人の姿がありません。留守居役の女房がいるだけで、ご両親様のお宅に今宵は参られました、と申すではありませんか。あれ以来色っぽい歌の一首も詠まず、かと云ってつれなさを詰る手紙も寄越さず、ひたすら家に籠りきりで情緒もなにもあらばこそ、私としても拍子抜けしてしまい、ああやって意固地にやきもちばかり焼いていたのもひょっとしたら私に愛想を尽かし私から別れを切り出すように仕向けたのではあるまいか、そう思える確証があったわけではありませんでしたが、疑いはくすぶり続けておりました、ただ衣装にはいつも以上に色も仕立ても気を配っており、それがまた徹頭徹尾私好みで、それは明らかに自ら見限ってしまった男の面倒をずっと見てくれていたというわけでした。

 あんなことがありましたがよもやあれきりになるとは思いもよりませんでしたので、さりげなく復縁を匂わせつつあれこれ云ってやりますと、抗弁もせず、探し廻らせて困惑させたりもせず、私に恥をかかせない程度に返事を寄越し、こうとだけ「前のようなお心積もりでしたらやはり多目に見ることは出来かねます。思い直して心を入れ替えられたならまたお逢いいたしましょう」と付け加えられておりました、そう云うものの私への想いがそう簡単に断ち切れるはずもあるまいと自惚れておりましたので、もう少々お灸をすえてやろうと、「わかった改心するよ」とははっきり云わず、駆け引きを弄しておりました間に、女は悲嘆にくれた挙げ句、あえなくこの世を去ってしまったのでございます、悪い冗談は云うもんじゃないしやるもんじゃないと痛い教訓を得た次第でございます。家を任すのならああいう女にしくはなかったのに……、と今更のように後悔しきりです。ほんの些細な事でも抜き差しならない重要事項でも相談のし甲斐がありました、染め物も上手で竜田姫と呼んでも差し支えなく、裁縫の腕も七夕の織女さながら、実に腕の立つ女でございました。」そう語り左馬頭はしみじみと想い出にひたるのでした。聞き終えた中将は、「その織女の裁縫の腕はひとまず置いておいて、彼らの永遠の約束にこそあやかりたいものだなぁ。聞くだにその七夕の姫が織った錦に敵うものはなさそうだね。儚い桜や紅葉にしても、四季折々の色合いがはかばかしくなく染め方がいただけないものは、誰の目にも留まらず消え去るのが定め。さように生涯の伴侶を決めるのは一筋縄ではいかないものだねぇ。」と大いに賛同なさいます。

「さてさてまたその当時の話になりますが、同じ頃に通っておりました別の女、これが家柄人柄は云うに及ばず、常日頃の嗜みも誰の目にも由緒ありげに映るよう、よく詠み、よく書き、よく弾き、その手も口も拙いところが微塵も感じられぬと思い他人からもそう聞いておりました。見目かたちも悪くなく、先ほどお話いたしましたやきもち女は気楽な定宿といった塩梅で、こちらにはあちらに隠れてこっそり逢瀬を重ねておりまして、その時分にはいたく心に叶っていたのでございます。そのうちあのやきもちが死んでしまい、どうしたものか……、憐れでならないが起こったことは取り返しがつかない、そう思いながらこの女の所に足しげく通うようになっていったのでございます、そうなってみて改めてみてみますと、少々嫌味たらしく、色気過剰なところが目につくようになり、妻に迎えるほどの信頼を寄せることは出来ず、つい忘れた頃に訪れるといった態になりましたが、どうやら同時期に内密で心を通い合わせる男がいたようでした。

 あれは確か十月のある日でしたでしょうか、月が見事な夜、宮中から下がりますと、と友人の殿上人と一緒になり、私の車に乗り合わせて大納言邸に泊めていただこうと向かっておりました際、その人がこんなことを云うのです『実は今宵、私を待っている人がいるんですよ、それがさっきからずっと気にかかっているんですよね』、またその女の家というのが避けがたい道すがらにありました、通りかかりますと、崩れかかった築地から池の水面が月明かりに照らされているのが見え、月でさえ宿る家を見過ごすのもさすがに野暮ですからと、友人は車を降りてしまいました。おそらく口裏を合わせていたのでしょう、浮き足だったその男は、中門脇の廊下の濡れ縁のような所にひょいと腰掛けしばし月見に耽っておりました。咲き誇る菊が見事で、風に煽られ散り乱れる紅葉がまたえもいわれぬ風情です。男はやおら懐から笛を取り出し吹き始め、『飛鳥井に、宿りはすべし、影もよし』などと合間に催馬楽なんぞを口ずさんでいるうちに、すでに調律してあったと思しい妙なる琴の音が、笛に調子を合わせて奏でられてきました、まったく悪くありません。飛鳥井のようなやわらかい旋律を、女がそっとやさしく掻き鳴らすのが、しかも御簾の向こうから聴こえるものですから、それがまた今風の奏で方で、澄みきった月とまたとない調和をもたらしているのです。男はすっかりご機嫌になり、御簾にまで歩み寄って

お庭の紅葉だけ踏みしだいた跡もありませんね

などと妬かせます。そうして菊を手折り、

琴の音色も月影も文句なしの宿ですからつい薄情者も引き留められてしまいましたよ

どうも不釣り合いすね、などと云い、

『もうひと節お願いいたしたいところですなぁ。せっかく聴き手がいるのですから出し惜しみなさいますな』かような軽口をたたきますと、女は淑やかぶった作り声で

木枯しなんぞと吹き合わせてくださる笛の音を引き留める言葉など持ち合わせておりません」

そうじゃれ合って、こちらの苛立ちもお構いなしに、続けて箏の琴を今度は盤渉調に整えこれまた今風に弾いてみせる音色は、才を感じられなくもありませんでしたが気分としては聴くに耐えぬものでした。あんな風にたまに会話を交わす宮仕えの女房で、単に小才の利くお調子者なら、その場限りなら楽しませてもくれるでしょう。ごくたまににせよ、それなりの気持ちをもって忘れずに通い続けるのには、信頼がおけず遊び心の度が過ぎている気がしまして、その晩を境に関係を終わらせたのでございます。


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