
侍従は斎院にもご奉仕いたしております若い女房ですから、ちょうどこの時節は留守にしております。残っておりますのはいよいよ貧相な田舎臭い女房ばかりですから、ちょっと面喰らってしまいます。ついさっき老女が非道く嘆いていた雪が、ますます激しさを増して吹き荒れております。空模様は凄まじく風は吹きすさび、大殿油が消えてしまいましても、改めて灯そうとする者もおりません。いつぞや物の怪に襲われたことがふいに思い出され、屋敷の荒れ具合はいい勝負ながら、こちらはなにせ狭苦しいので人が近くに感じられるのが救いですが、どうにも胸がざわついて薄気味悪い夜だと感じられてなりません。とはいえあの夜を彷彿とさせる状況ですから愛しさや懐かしさがいや増して、いかに様変わりはしてもぐっと気持ちが乗って当然ですのに、相手があまりに引っ込み思案で無愛想なのが、何の張り合いもなく口惜しいことこの上ないと思われておいでです。
からくも夜が明けた気配に、自ら格子を上げられ、目の前の植え込みに積もった雪を眺めておられます。見渡す限り踏みしだかれた跡もなく、一面荒れ放題で、いたく淋しそうですから、このまま振り捨ててゆくのも気が咎め、「空が綺麗ですよ、見てご覧なさい。そういつまでも心に壁があってはこちらもどうしてよいかわかりません。」と詰られます。外はまだ仄暗いながら、雪の白さに照り映えて源氏の君はいっそう清らかに若さがみなぎっておられます、老女たちはまばゆいものでも見るかのように顔をほころばせて仰ぎ見るのでした。「早く出ていらっしゃいませ。感心いたしません。こんな時は素直に従われるものでございますよ。」とお教えいたしますと、さすがに人の意見にはむやみに逆らわないご性分ですからどうにかこうにか身繕いをしてすすすと寄って来られました。源氏の君は敢えて見ないふりをして表を眺めておられましたが、横目でちらりとご覧になるのも一寸お普段とは違います、どうだろう……、心を開いてほんのわずかでもいいところがあればどんなにか嬉しいのだけれど……、とときめかれておられるのは、まったく我儘としか申し上げようがございません。
まず何と云っても座高が高く、胴長にお見受けいたしますので、ああやはりな……、とがっくりなさいました。次いでことのほか不細工に見えるのがお鼻です。目が釘付けになります。普賢菩薩の乗り物の白象かと思われました。信じられないほど高くびろんと伸びており、さらに先っぽがわずかに垂れ下がって色がついておりますのは、とりわけ嫌悪感をもよおします。お顔色はと申しますと、雪の白さも及ばぬほど白くその上真っ青で、額はどこまでも広くそれでいて下膨れですから、おそらく途方もない馬面と思われます。痩せてらっしることと云ったらがりがりの域で、肩のとげとげしさは衣の上からでもはっきりと見てとれるほどです。なんでこうまでつぶさに見てしまったのかと悔やまれますが、あまりの珍奇な御面相に毒喰らわば皿までのご心境になられ、とことん見尽くさないではいられないのでした。
そんな中、頭の形、髪の垂れ下がり具合だけは見事というほかなく、源氏の君が常々美しいと感心しておられる方々にもゆめゆめ引けを取りません、袿の裾にたっぷりと蟠り、その先が一尺ほど床まで伸びているかと思われます。
お召し物にまで言及するのは無節操の謗りを免れませんが、昔物語を読めばお分かりのようにまず御装束の描写は欠かせません。それに従いますと、淡い紅色が無惨なまでに色褪せた襲に、元の色も定かでないほど黒ずんだ袿を重ね、表着にはたいそう立派で艶々しい黒貂の毛皮に芳しい香を焚き染めて羽織っておられます。いかにも古風で、由緒ありげなお召し物ではありますが、若い女が纏うにはおよそ似つかわしくなく、仰々し過ぎて目が点になります。とは云うものの、あの毛皮をお召しになっておられなければ、さぞかしお寒いであろうと思わせる蒼白いお顔を、なんともいたたまれないお気持ちでご覧になられます。
言葉を失われた源氏の君は、こちらまで口が塞がってしまった心地になられましたが、いつもの沈黙をこの際破ってみようと、あれこれ話し掛けられてはみますものの、いたく恥じらわれ、口許を隠されてしまわれるのが目も当てられないほど芋臭く時代遅れで、太政官の役人がものものしく振る舞う時の肩肘張った姿を彷彿とさせますから、せっかく笑顔を浮かべられても取って付けたようでわざとらしさが拭えません。お気の毒な上に可哀想で、早々とその場を離れてしまわれました。
「後ろ楯となるべき人もいらっしゃらないお立場なのですから、好意を寄せる男には、邪険にせず睦まじくしてくだされば男も本望でしょうに、いつまでたっても心をお許しになられないのは、ちと辛いですねぇ……。」と仰りながら、
朝日が射して軒の氷柱は溶けてしまいましたのに、どうして一面の氷は凍ったままなのでしょう
と詠まれるのですが、「むむ」と言葉もなく含み笑いを浮かべるのみで、一向に口は固く閉ざされたままですから哀れになって出て行ってしまわれたのでした。
御車を寄せてあった切り通しの中門が、非道く歪んで今にも倒壊してしまいそうです、いつも夜に目にしますのでそうと分かってはいてもなにやかやで隠れておりましたが、改めてご覧になりますとたいそうぼろぼろで寒々しく、松に積もった雪だけがふんわりと温もりを放っており、まるで山里にいるかのような心地がしてしんみりとされます、いつぞやの雨夜の品定めの折に、あの人達が云っていた葎の門とはこういう情景のことを云うのだろうな、願わくは胸ときめく可憐な女人をこういう家に住まわせて、気苦労の多い恋をしてみたいもの、そうすれば背徳の想いも少しは紛れるだろうに……、と妄想されながら、そんなうってつけの棲みかに住まうのがあの人という体たらくではどうしようもない、とも思われ、私以外の男が耐えられるとは到底思えない、こうして多少なりとも馴染んでしまったのは、きっと亡き常陸宮の心残りが霊となって娘に憑りつき、導かれるようにして出逢ってしまったからに違いないと悟られるのでした。
橘の木がすっかり雪に埋もれておりますから、御随身を呼んで払わせられます。雪を払ってもらえなかった松の木が、羨ましそうな顔で自力で起き上がるやどさっと雪が零れ落ち、歌枕の末の松山を聯想させますのを、取り立てて深いところまで感じ取れなくてもよいので、こういう情景をごく当たり前に共有出来る相手がいてくれればと思われつつご覧になられております。
御車の出るべき門がまだ閉じられておりましたので、鍵を預かる者を呼びにやりますと、いたくよぼついたお爺さんが現れました。娘でしょうか、それとも孫でしょうか、どちらとも取れそうな女が、雪のせいで非道く煤けて見える衣を着、見るからに寒そうにして、変な器にわずかな火を入れたのを袖にくるんで持っています。お爺さんが門を開けるのに難渋しておりますので、女が手伝おうとしますが、はかが行きません。仕方がなく近習たちが力を貸してどうにか開けることが出来ました。
年老いた白髪頭に積もる雪を見る人にも劣らず私も涙で袖を濡らす
幼い者は着る物もなく、と白楽天の一節を口ずさまれますと、先が花のように赤らんでいたく寒そうに見えた姫君のお鼻をふと思い出され、笑みをお溢しになられました。頭中将にあのお鼻を見せたら、何に喩えるだろうかと、いつも私をつけ廻しているようだから、そのうちここも見つけ出されるだろうなとやや気が重くなられます。
何処にでもいるような、何の変哲もない御面相なら、このままうっちゃっておくことも出来るでしょうが、つぶさに詳細を見届けてしまった今となっては、いっそお可哀想に思われて、本気かと見紛うばかりにしょっちゅうお訪ねになられておられます。黒貂の毛皮でもありませんけれど、絹、綾、錦等々、老女房たちの衣装から、なんとあのお爺さんのためにまで、上にも下にも分け隔てなくご配慮を賜ります。このよう細々としたお心遣いを、特段恥ずかしい事ともお感じになられないようですので、源氏の君もむしろ安心して、こういう面だけでもお世話して差し上げ関係を育んでゆこうというお気持ちになられ、常日頃のお付き合いとは一風異なる形で立ち入った接し方をなさっておいでです。
そう云えばあの空蝉が気が緩んでいた晩に、ちらと横目で見た際には、いたく醜悪な顔に見えたこともあったけれど、あの女は身のこなしが上等でそれが難を隠して特に気にはならなかった、こちらの姫君が空蝉に劣る身分であろうか、まったくもって女の価値は身分の上下で決まるものではない、気持ちがおっとりしていて悔しいけれどきちんとした考えを持っていた女だった、結局負けてあれきりになってしまったなと、事あるごとに思い出されてしまうのでした。