
やがて年も暮れました。宮中の宿直所にご出仕なさったる日のこと、大輔の命婦が参内いたしました。お髪のお手入れの折などには、色恋沙汰抜きで気安く使える女です、とは云いながらもたまに色っぽい戯れ言を仰るなどして使い馴れておられますので、特にお召しのない時にもお伝えいたしたいことがございますと参上してくるのでした。「一寸気になることがございまして……、ご報告申し上げませんのも後ろめたく……、どうしてよいものか思案いたしております。」とにやりとして申し上げますと、「一体何だね。今さら私に隠し事もないだろう。」と仰います、「滅相もない。私事の打ち明け話でしたら、畏れ多いことでございますが何をおいても真っ先に申し上げます。ただ、これは一寸お伝えしにくいことでございまして……。」そう口ごもっておりますので、「またいつもの思わせ振りか。」と睨まれます。では、とばかりに「姫君からのお手紙でございます。」と懐より文を取り出しました。「ならば尚更隠しだても必要あるまい。」と仰ってお受け取りになられるお姿に、命婦は動悸が収まりません。
陸奥紙のぼってりとぶ厚いのに、匂いだけは目一杯焚き染めて、意外にも見事に書き切っていました。
貴方の心があまりに辛いので、この袖は濡れてばかりおります
源氏の君は何がなんだかわけが分からずきょとんとされておられます、そこで命婦が、包んであった風呂敷に、古臭い見るからに重そうな衣装箱を載せておずおずと差し出しました。「これをどうして噴飯ものと思わずにいられましょう。ですけれど、本来北の方がお贈りする元旦のお召し物としてお預かりいたしましたものを、はしたなくもお返しいたしますわけにもまいりません。ただ、私の一存でしまい込んでおきますのも姫様のお心に背くことになりますので、なにはともあれお見せいたしました次第にございます。」と申し上げます。「しまい込まれては立つ瀬がなかろう。濡れた袖を乾かしてくれる人もいない身の上にしては、実に喜ばしいお心遣いなのだから。」そう仰ったきり黙り込んでしまわれました。それにつけてもなんと笑止千万な詠みっぷり、この歌が掛け値なしにあのお方の限界なんだろう、これまでの歌は侍従の手が加えられていたに違いない、他に指導するような先生とかもいないんだろう、どうしようもないなと思われました。「畏れ多くも畏こくもとは、このような歌のことを云うのだろうねぇ。」と笑みを浮かべてお読みになられておりますので、命婦は赤面してしまいました。
今流行りの薄紅の、許しがたいほど艶の欠片もない古ぼけた直衣、しかもあろうことか裏表共に濃い色目で、いたって取るに足りないものだというのが褄を目にしただけで見て取れます、野暮ったいなぁと呆れられ、手紙を拡げられたまま、端っこに戯れ書きなさいますのを、そっと横目で見てみますと、
気に入った色でもないのに、どうしてまたこの末摘花と契ってしまったのだろう
ずいぶん色の濃い花だと見ましたが……。等々走り書かれております。末摘花にかこつけて当てこすりを仰られるのには、きっとわけがあるに違いないと、時折月影のもとで目にした姫君のお鼻を思い出し、申し訳ないとは思いつつもつい吹き出しそうになってしまうのでした。
一度染めの衣のように貴方の気持ちが薄くても、そう無闇にけなして悪い評判を立てないでいただけたら……
お気の毒な間柄と申し上げるほかございません、と馴れた口調で呟きますのを、大して上出来とは云えませんが、せめてこの程度の歌をさらりと詠みこなしてくれたなら……、とかえすがえすも残念に思われます。ただ、宮家の姫君というお立場を鑑みるだにお可哀想で、名折れになるような悪評が広まってしまってはさすがにお気の毒です。そうこうしておりますうちに近習たちがやってきましたので、「これは隠しておいてくれ。こういうことをするのは人としてどうかと思うよ。」と渋いお顔をなさいました。なんでまたお目にかけたりしたのだろうと臍を噛み、命婦は自分までもが無粋に思われて、いたく恥じ入ってしまいすごすごと退出してしまいました。
翌日、命婦が出仕いたしておりますと、源氏の君が女房たちの詰所を覗かれて、「ほら、昨日のお返しだよ。妙に引っ掛かっていたものだから。」と投げて寄越されました。女房たちは一体どうしたことかと身を乗り出します。「ただ梅の花のようだったなぁ、三笠山の乙女を捨てるなんてなぁ。」と俗歌をもじられて立ち去られましたので、命婦はまたしても吹き出しそうになります。事情を存じ上げない者たちは、「なんですか、一人笑いなさって。」と詰ります。「なんでもないんですよ。この霜がおりるほど寒い朝に、掻練り衣の色合いに似た皆さんの赤い鼻を見付けられたんですよ。愉快なお歌でしたわね。」と云いますと、「あらずいぶん非道いじゃありませんか。ここには赤い花なんておりませんよ。左近の命婦や肥後の釆女が混じってるわけじゃないんですから。」と能天気に云い合っています。その後、常陸宮邸にお手紙をお届けいたしますと、女房たちがぞろぞろ集まってきてうっとりと拝見いたします。
逢わない夜が多い私たちですのに、中を隔てる衣をくださるとは、更に隔てを重ねてみよと仰るのでしょうか
白い紙にさらっとお書きになられておりますが、これがなんとも見栄えがよいのです。
晦日の夕方頃、例の御衣箱に、どこやらのお方からのお召し料として、一揃いの御衣、薄紫の織物の御衣、他にも山吹色襲等々あれこれ取り揃え、命婦が姫君にお持ちいたしました。先日贈られた衣装の色合わせを源氏の君が非道いと思われたことは想像に難くないのですが、「あちらのお召し物のお色だって、紅の実に上品なものでしたよ。この度頂いたものにも決して引けは取りません。」と老女房たちは勝手に決めております。「お歌にしても、こちらが差し上げたものは一本筋が通っていて堂々としていましたが、お返しの御歌はただ洒落っ気があるだけじゃありませんか。」など云いたい放題です。姫君も、あの御歌は苦心惨憺の末に詠み切られたものでしたので、別な紙にも書き付けてお持ちになっておられたのでした。