源氏物語 現代語訳 花宴その3


 源氏の君の宿直所桐壺にはかなりの人がお仕えしておりますが、中にはもう目覚めている者もおります、こうして早朝にお戻りになられましたのを、「相変わらず熱心に忍び歩かれておられるわねぇ。」と小突き合いながら寝たふりをしております。お部屋に戻られ横になられたものの、すんなりと眠られません。それにしてもそそられる人だったなぁ、女御の妹君の一人に違いあるまい。男馴れしていないようだから五番目か六番目か、帥の宮の奥方や、頭中将が毛嫌いしている四の君あたりはそうとうの美人らしい、そうだとしたらもっと胸躍るところだけれど……、六の君は左大臣が東宮に奉る積もりらしいが、だとするとちょっと胸が痛まないでもない……、ともあれあの家の娘の誰かと探るのは差し障りも多いし紛らわしい、ただの行きずりとは思えない気色だったけれども、どうしてすんなりやり取りする手だてを明かさなかったのか……、等々とめどなくお考えになられますのも、すっかり心奪われておられる証拠でありましょう。こういうことがありますと、やはり藤壺周辺の途方もない奥の深さ近寄り難さに、改めて畏敬の念を抱かれるのでした。

 その日は二次会の小宴が催されましたので、終日気持ちも紛れてお過ごしになられました。後宴で源氏の君は箏を担当なさいます。昨日の大宴会より、雅やかで味わい深いものでした。藤壺中宮は夜明け前にお上のお局に参上なさいました。あの有明の君が帰ってしまうのではと源氏の君は気もそぞろで、あらかじめ万事抜かりのない良清、惟光を見張りにつけておられましたところ、御前より退出されるや、「たった今、北門からずっと隠れ待っておりました車が何台も出てゆきました。弘徽殿の女御のお里の方々が控えておりました中に、弟君の四位の少将、右中弁といった人たちがまろび出てきてお見送りしておりましたから、弘徽殿の女御のご一族の方とお見受けいたしました。明らかにそれ相応のご身分の方々でしょう、車は三台でございました。」とご報告申し上げますと、源氏の君は胸が詰まってしまわれました。どうすれば五の君か六の君かが分かるだろうか、左大臣に訊いて大袈裟に扱われるのも考えもの、とはいえ知らないままなのも癪に障る、一体どうしたものかとひたすら悶々とされ輾転反側なさっておられます。

 二条院の姫もさぞや閑を持て余しているだろう、ずいぶんご無沙汰しているからむくれているかもしれん、としみじみいとおしく思われております。有明の君と交換した扇は桜襲で、濃い側に霞む月が描かれており、その姿が水面に映っているという意匠は特段珍しいものでもありませんが、持ち主の嗜みがうかがえしっかりと使い込まれています。「草の原をば」と口にされた姿がまだ鮮明で、

こんな経験は未だかつてしたことがない、有明の月を空半ばで見失うなんて

そうさらりと認め置かれました。

 左大臣宅にもすっかり不義理しているなぁと省みられますが、やはり若い姫君のことも気がかりで、なだめてあげようと結局二条院においでになります。逢う度にめきめき美しくなられており、愛嬌も兼ね備えてきて賢さが際立っております。欠点が露ほども見当たらず、ご自身の思うがままにご教育を施されるには願ったり叶ったりなのです。ただ男の御教育係ですから、妙に殿方馴れしてしまうのではないかという危惧も若干おありのようです。このところの近況をお話になられたり、お琴を御教授をなさったりで一日お過ごしになられ、夜近くになって外出されようとなさるのを、またいつものお出掛けねと残念がりはいたしますが、この頃はいたって聞き分けがよくなられ、以前のようにすがりついたりはいたしません。

 左大臣邸では、また例によって北の方は直ぐにはお出ましになられません。源氏の君は所在なくあれやこれやのことに想いを巡らせられつつ、箏のお琴を戯れに爪弾いて「やはらかに寝る夜はなくて」と催馬楽のひと節を口ずさまれます。

 そこに左大臣がいらっしゃって、先日の宴のご感想を述べられました。「ここまで長生きしまして、聖なる帝四代にお仕えいたしてまいりましたが、先般のごとき詩文にも秀で、舞、楽共に絶妙な調子に、寿命が延びる心地がしましたのは初めてです。当節はそれぞれの道に手練れ達がごまんとおりますから、きっとそれぞれを詳しくお調べになり入念に準備なさっておられたのでしょうね。この老爺まで思わず調子に乗って舞い出るところでありました。」と申されますので、「いえいえ、そこまで下拵えしていたわけではありません。ただなにぶんお役目ですから、各々の師匠に教えを乞いにあちこちと出向いただけなのです。それより何より、頭中将の『柳花苑』、あれぞまさに後々までのお手本ともなるべき見事なものと拝見しました、加えてあの日は栄えある春の宴、ご一緒に舞われましたら一世一代の晴れ姿となったことでしょう。」そう仰いました。やがて御子息の左中弁、頭中将がおみえになり合流され、高欄に凭れながら様々な楽器を奏でて遊ばれましたのは、まことに結構なことでございました。


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