源氏物語 現代語訳 若紫その12


 源氏の君が東の対に行ってしまわれましたので、姫君はその間そっと端まで出てこられ、庭の木立や池の方を覗かれます、霜枯れの前栽の眺めがまるで絵に描いたように美しく、見知らぬ四位五位の人たちが入り交じり、ひっきりなしに出入りしている様子をご覧になられ、ここは本当に面白い所だわと感心なさっておいでです。立て掛けられた屏風にはまことに典雅な絵が描かれおり、それやこれやを味あわれつついつしか気が紛れてゆくお姿はなんとも可愛らしいものです。

 二三日参内もなさらず、源氏の君は姫君にかかりっきりでお世話され話し相手になられております。そのままでお手本になると考えられたのでしょう、字や絵をあれこれと書かれお見せになります。それはお見事にいくつもいつくもお書きになられました。「武蔵野と言えばかこたれぬ」と古今集の歌を紫の紙に書かれた、筆跡の取り分け雅やかな一枚を取り出してご覧になられます。横にやや小さく、

一緒に寝たことはないけれど貴女をこの上なく愛しく思います、武蔵野の露の果てに見つけた縁の君を

と認められておりました。「さあ貴女もお返しを書いてご覧。」そう促されましても、「まだ上手に書けません……。」と源氏の君を見上げられるお顔がなんとも云えず可憐で、思わず笑みがこぼれ、「巧く書けないからと云って書かないのはいただけませんね。ご安心なさい、私が教えて差し上げますから。」と仰られると、素直に横を向いて書かれる手つき、筆遣いの幼さがただただ愛しくてたまらず、ご自身不思議な心地になられるのでした。「書き損じちゃった。」と恥ずかしがってつい隠そうとなさるのを、若干強引に手に取られてご覧になりますと、

かこつける理由を知りませんのでちょっと不安です、どんな草の根のご縁なのかしら

そう書かれており、まだまだ幼さの残る歌と筆致ながら、末楽しみな跡が充分に伝わるふっくらと優しい書き様です。お亡くなりになられた尼君の筆跡と似通うところがあります。この先、今風な手本を習えば、さらに上達するだろうな、と源氏の君は確信なさいます。雛遊びをなさる際にも、わざわざ御殿まで何棟も拵えて、一緒になって遊ばれ、何かと思い悩まれることの多い源氏の君の何よりの慰み、気晴らしとなっております。

 一方で姫君のご実家に残った人たちは、あの後兵部卿宮がお越しになり姫君の消息をお尋ねになられた際に、なんともお答えのしようがなく申し訳ない気持ちでいっぱいになり困り果ててしまいました。「当分誰にも知らせたくない。」と源氏の君も仰っておられましたし、少納言も同様の意見でしたので、ゆめ他言せぬようにときつく云っておりました。ただ少納言が何処へとも知らずお連れになりましたとだけしか申し上げることが出来ず、兵部卿宮も途方に暮れられて、亡き尼君もこちらに移られる事に関しては断固として拒んでおられたので、乳母が余計な気を廻し、正直にお渡ししたくありませんと云わず、思い余って何処かに連れ去ってしまったのだろうと推しはかられて、涙ながらにお帰りになられました。「もし耳寄りな知らせがあったらすぐに伝えておくれ。」と云い残され、女房たちもさすがに迷惑に感じてしまうのでした。念のため僧都にも問い合わせなさいましたが、杳として行方は知れません、すっかり美しくご成長なさったお顔立ちを、今更のように恋しがられて悲しみに打ちひしがれておられます。兵部卿宮の奥様も、一時は姫君の母君を憎まれたこともありましたが今はそのわだかまりも消え失せ、むしろこちらの思うように育ててみたいと思われておられましたので、思いもよらぬ成り行きに落胆されておいでのようです。

 そのうち二条院にかつての女房たちが移ってまいりました。お遊び相手の女の子や男の子たちも、お二人の今風なご様子をつぶさに拝見しておりますので、何の気兼ねもなく無邪気に遊んでおります。姫君は源氏の君がいらっしゃらない心淋しい夕暮れ時にはさすがに亡きお祖母様を恋慕われて涙をこぼすこともおありですが、父宮のことはどういうわけかあまり思い出されたりなさらないようです。そもそも父宮の許から離れてお育ちになられましたので、今は新しいこちらの父上様を慕って常につきまとっておられます。ご帰宅になられますと一目散にお出迎えになり、いかにも愉しそうにお話を交わされ、以前と違い懐に抱きかかえられても一向に嫌がったり恥ずかしがったりなさる素振りを見せず、そういうお相手としてはまたとない愛くるしい方なのでした。

 妬む心などがあって、いろいろな煩わしい事態になったりいたしますと、意にそぐわない所が出てくるのではないかとつい気遣われます、つい恨んでしまい、予想もしなかったような面が自然と現れれてくるものなのですが、こちらの姫君はそんな気配とは無縁のまことに無垢な遊び相手なのです。実の娘であっても、このくらいのお歳になれば、寄り付かなくなったり共に寝起きするなぞもってのほかになりがちなのですが、こちらの姫君は滅多にお目にかかれない宝物のようなものだとしみじみ思われておいでのようです。

●編集後記●

〇若紫(のちの紫の上)
藤壺の兄の子。育ての祖母亡き後、乳母と共に光源氏が半ば強引に引き取る。

〇藤壺
光源氏の継母で、光源氏の最愛の人。一度だけ果たせた逢瀬で光源氏の子を妊娠してしまう。

この章って、いま読むと割と怖くないですか?
継母を妊娠させて、年端もいかない幼い娘を誘拐(そして自分好みに育てる)……。
「夕顔」もホラーでしたが「若紫」も令和の女性からしたら、かなりホラー。

店主は「藤壺」を芦田愛菜さんで当て読みしていましたが、若紫は誰なんでしょう?
幼子から成長させなきゃいけないので、子役と女優の二人必要ですかね。
今後聞いてみます!


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