源氏物語 現代語訳 賢木その3


 四十九日の御法事までは、女御、御息所達も全員院のお側に集っておりましたが、法事が済みますとそれぞれに退がってしまいました。折しも十二月二十日です、世間一般は暮れへと向かい空の景色もそれに呼応してどんよりと暗く、それ以上に中宮の胸の内は晴れることがありません。弘徽殿の大后の御性分は身に沁みて分かっておりますので、これから先あのお方の意のままになってゆくに違いないこの世はさぞかし気苦労も多く住みづらいであろうと思われますが、それよりももう何年も睦まじくご一緒に暮らされた院の面影と日々を思い出されない一瞬とてありません、しかしながらお隠れになられた後もいつまでも院の御殿に居続けることも出来ず、誰も彼もが散り散りになってゆくのが、何より悲しくてならないのです。

 中宮は三条の里邸に戻られることになりました。お迎えに兵部卿宮がいらっしゃいました。雪が舞い散り風が吹きすさぶ中、院の御殿も少しずつ人気がなくなりひっそりとしておりますところに、大将源氏の君がこちらにお越しになり、亡き桐壺院を偲ぶ昔話をなさいます。御前の五葉松が雪の重さにしなだれて、下葉が枯れておりますのをご覧になり、兵部卿宮が、

木陰が広過ぎて頼みにしていた松が枯れてしまったのだろうか、下葉までもが散り散りになってゆく年の暮れよ

どうということもない御歌ですけれど、折が折りですから哀れを誘い、大将源氏の君のお袖はしとどに濡れてしまわれました。池は一面氷に覆われております、

氷が張って冴え渡る池はさながら鏡のように鮮やかなのに、見馴れた面影を目にしないのが何より悲しい

そう源氏の君が心のままに詠まれました。相当に子供じみておられる気がしないでもありませんが……。王命婦はと申しますと、

年も暮れ岩井の水もすっかり凍ってしまいました、目に映る人影も次第次第にまばらになってゆきます

と、折柄他にもお歌は多かったのですが、そればかり書き残すのも如何なものかと。

 お移りになられる格式は以前同様ですが、なんとはなしに心が揺らぎ、元々の御家でありながらどこかしら旅の宿のような錯覚に囚われてしまうのも、お里へご無沙汰しておりました長い年月を振り返れられておられるからでしょうか。

 年は明けたものの、世の中には浮き立つような事もなくひっそり閑としております。ましてや大将源氏の君は、塞ぎの虫にとりつかれひたすら引き籠っておられます。除目の頃ともなりますと、桐壺院が帝位に就かれておられた時代は云うに及ばず、ここ何年もの間源氏の君の御威光はとどまるところを知らず、御門周辺には犇めき合っておりました馬や車もすっかり影をひそめ、宿直役の夜着を入れる袋すら目にすることもとんとなくなってしまいました、気を許しておられる家司たちだけが、特段忙しそうにしているわけでもないのをご覧になりますにつけ、これからはもうこんな風になるんだなと寂しさの余り妙に達観されておられるようです。

 御匣殿は、二月に尚侍になられました。故院への想いが募られて尼になられた前任者の替わりというわけです。高貴なお生まれらしく堂々と振る舞い、お人柄も抜群でしたので、すでに何人も控えております女御、更衣たちの中でも抜きん出た御寵愛を受けておられます。大后はこのところお里に下がられがちで、たまさか参内なさる際には梅壺をお使いになられますので、弘徽殿には新任の尚侍の君がお住まいになられます。これまでの登花殿が陰気臭かったのに引き換え、一気に華やかになりまして、女房たちが引きも切らず集い、当世風の賑やかさに溢れておりますが、実のところお心の内ではあの思いもよらなかった源氏の君との交歓が忘れられず、密かに嘆いておられるのでした。どうやら今でも極秘のやり取りは続いているらしいのです。源氏の君ももしこのことが外に洩れたらどうなるであろうと危惧されつつも、いつもの悪い癖から、この新たな状況に直面され、どうやら恋心に火がついたようです。

 院御存命の時代には遠慮し控えておられましたが、なにせ大后は激情の持ち主でいらっしゃいます、積年の怨みつらみの数々を、この機に一気に晴らし報復されようと目論んでおられるのでしょう。何につけ如何ともし難いことばかり起こりますので、こういう展開はおおよそ読めておりましたものの、初めて味合わされる憂き世の現実に人と交じらうことも億劫になられておられます。

 左大臣も、すっかり気持ちが萎えておしまいになり、取り立てて宮中へも出仕なさいません。亡き姫君を、お上を差し置いて源氏の君へと嫁がせたお志を、大后が今なお根に持たれており、よく思われていらっしゃらなのです。そもそも右大臣との仲はあまりしっくりいっていなかったのですが、故桐壺院の御代には好き勝手に振る舞っておられたものの、時は移ろい今や右大臣が得意顔でのさばっておられるのが面白くないと思われるのも当然と云えば当然でありましょう。

 方や大将源氏の君は以前同様に左大臣邸においでになり、亡き姫君にお仕えしておりました女房たちにも、むしろかつてより細やかに気を配られ、若君をひたすら溺愛なさいますので、その思いやりのありがたさに、左大臣がまめまめしくお世話いたしますのも在りし日々となんら変わるところがございません。当時はお上の御覚えも格別にめでたく、慌ただしいほどお忙しそうに見受けられましたが、このところ通われておられた女人達との間にも、各々縁遠くなるような出来事があり、浮かれた忍び歩きも虚しくなられたのか控えられており、いつもゆったりと構えておられますのは、まさに尊いご身分に相応しいあらまほしきお姿でございます。

 西の対の姫君の御幸運を、世間でももっぱら誉め称えております。乳母の少納言なども、ひそかに亡き尼君のお祈りが通じた証と拝見いたしております。父君兵部卿宮ももうすっかり気安く文のやり取りをなさっておられます。北の方との間にお生まれになった姫君にはこの上ない幸を願われておられますけれども、これといった良縁もなく、それなのに妾腹の姫が源氏の君に縁付かれるなど妬ましい事も多く、北の方の御心中は穏やかなはずもありません。さながら昔の物語に、わざとらしく作り込まれた設定のようです。

 賀茂の斎院がこの度父桐壺院の喪に服され退がられましたので、朝顔の姫君が替わりに着任されました。斎王に皇孫が立つためしはほとんどなかったのですが、相応しい皇女がいらっしゃらなかったと思われます。大将源氏の君は、ずいぶん年月が経ってもまだ想いが残っておられたのですが、こんな具合に特殊なお立場になられてはなす術がないと残念がっておられます。お付きの女房中将に取り次ぎを頼むことも同様ですから、お手紙は絶やしておられなかったのでしょう。かつてとすっかり境遇が変わられたことを、特段意識されてもおられず、こういうかりそめの恋路を楽しみながら、それでも気が紛れることもなく、あちらこちらへ想いを寄せておられるのでしょう。

 お上は、院の御遺言を忠実に守られ源氏の君を常に気にかけておられますが、なにぶんにもまだお若く、またお心が優し過ぎ、強さというものをお持ちではないのでしょう、母大后、祖父右大臣があれこれと采配する事に対しても異議をとなえることもお出来にならず、世の政もままならいご様子でございます。


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