
月の出を待って山へと向かわれます。お供をほんの五、六人だけお連れになり、下人も馴れ親しんだ者のみで、御馬にての出発です。今更云うまでもありませんが、在りし日のお姿は見る影もありません、お供の者全員がなんとおいたわしいと胸打たれております。中にあの賀茂の祭の禊の日、臨時の随身に抜擢された右近の将監の蔵人がおり、得てしかるべき位からも洩れ、ついには官すら取り上げられて途方にくれておりましたので、お供の一人として加わっております。下鴨神社が遠く見渡されて、ふいにあの日の出来事がよみがえり、馬より降り源氏の君の御馬の口を取りました。
お供を引き連れ葵の葉を挿して進んだあの日を思い返せば、ご利益のなかった賀茂の神様を恨みます
と口にしましたのを、事実この者はこんな風に思っていたのか、あの日は誰よりも目立って華々しくしていたなぁと一寸申し訳ないお気持ちになられました。
源氏の君もお馬から降りられ、お社の方に深々と頭を下げられます。続いて神にお暇を乞われます。
今、浮世に別れを告げますが、後に残る私の評価はずべて糺の森の神に委ねます
そう申し上げますお姿を、なにせ右近将監は多感な若者ですから、心底感動しなんとご立派なと拝見いたしております。
お山に参られ、在りし日の院のお姿を、たった今も眼前においでになるかの如く思い出されておられます。この上なき位にお就きになられた方であろうと、この世を去られた方というのは、名状しがたい無念がございます。ありとあらゆることを涙ながらに訴え申し上げても、そのお返事はもうこの世では承れません、あれだけ細やかなご配慮のもとに仰っておられた数々の御遺言は、一体何処に消えてしまったのか……、そう云ったところで詮ないことなのです。お墓は道々に草が生い茂り、分け入るにも深い露が邪魔をします、月が姿を隠し、森の木立が黒黒としてぞっとするほどです。帰り道さえ閉ざされてしまった心地で参拝されておりますうちに、在りし日の院の面影がくっきりと目に映られ、思わず慄然となさいました。
お亡くなりになった院は今の私をどう見ておられるのだろう……、院を想って見上げていた月も雲に隠れてしまった……。
夜明けと共に山を降りてお帰りになられ、東宮にも近況をお知らせいたします。王命婦がお母様代わりにお仕えいたしておりますから、その局宛に
「まさに今日、私は都を離れます。もう一度お顔を拝見出来ませんのが、数限りない愁いの中でも最たるものでございます。どうぞ諸々ご推察の上、よろしく申し上げておいてください。」
いつの日かまた春の都の花を見ることが出来るだろうか、無位無官となりはてた山の民同然のこの身ですっかり散ってしまった桜の枝につけて遣わされました。「このような文が届きました。」とお目にかかけますと、幼心にも困ったお顔をなさいます。
「お返しはいかがいたしましょうか。」と王命婦がお訊きいたしますと、「しばらく逢わないだけでも恋しくなるのに、遠くへ行ってしまったらどんなにか淋しくなるだろう、そう伝えておくれ。」と仰います。なんといじらしいお返事でしょうとおいたわしく感じております。道に外れた恋路に悩み抜かれておられたかつての日々、その折々のお姿が次々と思い出され、源氏の君も宮も患われることのないご関係を築くことも出来たはず、それが自ら進んで棘の道を歩まれることになったことが無念でならず、そうなってしまったのもひとえに一存で手引きした自分の落ち度であるかのように思っているのでした。お返事には、
「なんとも申し上げようもございません。ご伝言、確かにお伝えいたしました。淋しそうにしていらっしゃるお姿はいたたまれません。」とあり、どことなく支離滅裂で、心の乱れを如実に表しているかのようです。
咲いたと思えばすぐに散ってしまう桜の花はうとましいものですが、過ぎ行く春は必ず巡ってきますからまた都に戻ってご覧になられてください
時を味方につけて。
そう申し上げ、名残を惜しんで源氏の君を偲びつつ、御殿内一堂、いつまでもさめざめと泣き合っておりました。
一度でも直に源氏の君のお姿を拝見した者は、今のように落胆しておられるご様子を嘆き、ご同情申し上げていない者は一人としておりません。ましてや常日頃よりお側にお仕えし馴れております者は、源氏の君が知り及ぶ由もない長女、御厠人に至るまで、ありがたいご恩を賜っておりましたので、しばらくの間とはいえご尊顔を拝せない日々を過ごさねばならないことを思って悲嘆に暮れております。
世間の大多数の人たちも、この度の出来事を仇やおろそかには考えておりません。七歳になられてからというもの、お上の御前に昼夜問わずお仕えになり、申し上げるお言葉が聞き届けられなかったためしはついぞありませんでした、その御恩寵を蒙らなかった者はおらず、その御徳を崇めなかった者もおりませんでした。上級貴族の方々、太政官の官吏たちなどにもそういう人は沢山いらっしゃいます。それ以下は云うに及びません、常々源氏の君に感謝申し上げていないわけではありませんけれど、さしあたって当面は急変した世を憚って近寄ってきません。世の人々の心を揺るがすほどに同情を集め、陰に廻って朝廷を非難し恨んだりもいたしますが、我が身を危険に晒してまでお見舞いに参上したところでなんになろうと、こういう状況下でははしたないくらい不人情に振る舞う者が大半ですから、世の中というものはなんと味気ないものよと、事あるごとに痛感なさっておられます。
その日は、女君にのんびりとお話なさってお過ごしになり、いつものように夜が深まってからご出発になりました。狩衣等の旅のいでたちもいたって質素に、「ほら、月が出ましたよ。もうちょっとこちらに出てきて見送ってくださいな。多分あちらではお話したいことが積もりに積もることになるでしょう。たった一日か二日離ればなれになっただけで、妙にそわそわしてしまいますからね。」そう仰って御簾を巻き上げられ、端へと促されます、女君は泣き濡れしょんぼりしておられましたが、それでも誘われるままにおずおずとにじり出てこられます、月明かりに照らされたそのお振る舞いのなんと美しいことでしょう。自分が再会すらままならずこの世に別れを告げてしまったら、このお方はどのようにその先の世をさすらわれるのだろう……、そう思えば申し訳なく悲しくてやりきれないお気持ちになられますが、すっかり気落ちされておられますので、それ以上申し上げてはさらにお嘆きが深まるでしょうから、
「生きながらの別れもあるとはつゆ知らず、約束をする時にはきまって生きているうちはずっと一緒ですよと口にしてきました
若気の至りですね。」
などと、一寸砕けた口調で仰いますと、
「この命はどうなっても構いません、目の前のお別れをどうぞもう少し長引かせてください」
そこまで思い詰めておられるとは……、と胸打たれて後ろ髪を引かれますが、夜が明けてしまっては見苦しくなりますので、急いで出発なさいました。
道中も姫君の面影がちらつき、胸いっぱいになりながら、御船に乗り込まれます。日の長い時季です、追い風も加わって、夕方の四時には目的地の浦に到着なさいました。軽い小旅行でも、こういう旅はなさったことがありませんでしたので、心細くもありまた同時に胸躍るような珍しい気分になられます。大江殿という場所は、すさまじく荒れ果て、松の木だけが目印のような所です。
唐の国の歴史に名を残した流人たちより、先行きもわからない暮らしをする羽目になるのだろうか
渚に寄せては返す波をご覧になり、「うらやましくも」と業平の歌をつい口にされます、こんな折の常套句ではありますけれど、皆々新鮮な思いがして、ただただたまらなく悲しくなりました。振り向いて見渡されましたら、辿って来られた山々は遠く霞み、白氏文集にある「三千里のほか」もかくやという心境になられ、船旅の涙を誘うのでした。
故郷の京は峰の霞が隔ててしまっているけれど、眺める空は同じ空なのだろうか……
辛くないことなど何一つありません。
住まわれる場所は、中納言行平が藻塩垂れつつ独り寂しく暮らした邸宅の近くです。海からはやや奥まった所にあり、深閑として殺風景な山の中でした。垣根からして見たこともない作りで珍しがっておられます。茅葺きの屋根や、葦を葺いた廊に似た建物もなかなか味わいのある作りとなっています。場所柄に相応しいお住まいで、風変わりなところが、世が世ならそそられるだろうなと、かつての奔放な夜歩きの日々に思いを馳せられます。近隣に点在するそこかしこの荘園の管理人をお召しになり、しかるべき仕置きを、良清朝臣を腹心として執り行わせるのも結構なことでございます。あっという間に、御邸宅は風情たっぷりとなりました。水路を深く造作し、何本もの木を植え、取り敢えず形が整ったところで心静かにご覧になりますと、まるで夢を見ているような心地がいたします。国司もかねてより心許しておられる家臣ですから、陰ながらいたって親身にお仕えしております。旅先の宿とは思えないほど人の出入りは頻繁ですが、含蓄のある会話を交わすお相手もいらっしゃいません、さながら異国にいるようで、ともすれば鬱々となさることもあり、この先どうやって年月を遣り過ごそうかと思案されておられます。
どうにか身辺も落ち着いてきますと、折しも長雨の時季となり、思わず京の事が気にかかるようになられます、数多いらっしゃる恋しい方々、悩み深き女君のお姿、東宮の事、若君の無邪気に戯れておられたご様子をはじめとして、あちらこちらの女人たちにも思いを巡らしておられます。
そんなこんなで京へ人を立てられました。二条院の姫君宛のものと、出家なさった中宮へのお便りは、書き切ることもかなわず、涙で文字が霞むばかりです。中宮へは、
松島の尼は陋屋でいかがお過ごしか、須磨の浦人は涙に濡れておりますが
悲しみは時を撰びませんが、就中この長雨では過去も未来もあまりに朦朧として、汀まさりての心境です。
続いて尚侍の君へも、例によって中納言の君への私信を装い、同封して、
性懲りもなくまだ貴女にお逢いしたいのですが、当の海人はどう想っておいででしょうか
様々に想いを尽くして綴られるお言葉の数々は察して余りあります。
もちろん左大臣にも、若君の乳母宰相の君宛にも、若君にまつわるお願い事を面々と認められます。
こういったお便りを受け取られた京の方々には、いっそうお心を掻き乱された方ばかりが大勢いらっしゃいました。二条院の君にいたっては、お読みになられるや起き上がることすらままならなず、身を切られるような想いを募らせておられますので、お付きの者たちも慰めようもなく、手をこまねいたままなす術もありません。ご愛用の調度品の数々、弾き馴れた琴、脱ぎ捨てられたお召し物の匂い等に触れますと、さももうお亡くなりになられた方の物のように思えてしまいますので、少納言は心配な上に不吉な事のような気がして、北山の僧都に加持祈祷をお願いいたします。僧都はお二方に向けて御修法を執り行われました。姫に対しては悲嘆に暮れるお心が鎮まりますように、源氏の君に対しては悩みなき元の世に戻られますようにと、お心を添わせて一心にお祈りされておられます。旅先でお召しになる夜着などをご用意してお送りいたします。縑の直衣や指貫といった普段はお召しになられない装束が身につまされ、「去らぬ鏡」と仰った面影は今も間近に感じられますが、所詮面影は面影でございます。常日頃出入りしておられたお部屋や、凭れかかっておられた真木柱などを目にされましても胸が締めつけられるだけで、柔軟な考え方を持ち、世間の波風にさらされてきた老齢の人でさえ耐えがたいのに、ましてやいつも側に寄り添い、父母代わりに慈しまれお育てしてこられたわけですから、恋しくてたまらないのもしごくごもっともなのです。いっそこの世からいなくなってしまわれたのならあれこれ云っても無駄ですし、いずれは忘れ草も繁るでしょう、話によればお近くらしいのですが、いつまでと区切った別れというわけでもないので、やるせない想いが尽きないのでした。