源氏物語 現代語訳 須磨 その4


 方や入道宮も、東宮の御将来がございますから、お嘆きは通り一遍ではございません。前世よりの因縁と考えれば、浅いご縁などとは到底思えません。ここ何年もの間、口さがない世間を恐れられ、ほんの少しでも気のある素振りを見せてしまったら、どんな尾ひれをつけて云いふらされるであろうと、それだけを心に念じて想いを封じ込められ、あれほど熱烈に寄せられた求愛もすげなく受け流し、ことさら冷たくあしらってこられました、この度の事態を招いた情け容赦ない世間の風評を掻い潜られて何方の口の端にも上らなかったのも源氏の君の御深慮と、いたずらに御心の赴くままに行動なさらず、源氏の君もまた用心深く隠匿されておられたからでしょう、そんなかつての日々を感慨深く思い出されておられます。お返事もいつもより細やかに認められ、

この頃は以前にも増して、

泣くことだけが私の役目、そう思って松島の尼は嘆き暮らしております

一方で朧月夜の君のお返事はと云いますと、

浦で塩を焼く海人さえ秘密にしている恋だもの、この胸にくすぶる煙の行く末は知れません

今更なのは云うまでもありませんけれど。

とそれだけささっと書かれ、中納言の文に忍び込ませてありました。お嘆きのご様子につきましては中納言が事細かに認めてあります。胸打たれる箇所がいくつもありましたので、源氏の君もつい涙を零されます。

 肝心の姫君のお便りは、とりわけ情愛たっぷりに書かれた源氏の君へのお返しですから、しみじみと心に染み入る節々ばかりで、

浦人の涙に濡れた袖と比べてみるがいい、海路に隔たれた独り寝の私の夜着を

送ってこられたお召し物の色合いや染め具合など、目を見張るものがございます。なにをさせてもご趣味がよく器用でいらっしゃいます、ご自身のお望み通り、今頃は他へ色目を遣うようなこともなくなり、二人っきりで仲睦まじく暮らしていたはず、そう思えばなんともやるせなく、昼となく夜となく面影ばかりを追い求められ、いてもたっていられなくなり、こっそりこちらへ呼び寄せようかと思われます。が、たちまち打ち消され、いややはりそれは不味い、こんな無常な世に生まれついた以上、せめて罪だけでも消し去ろうと、すぐさま精進潔斎され、仏道三昧の日々を送られておいでです。

 左大臣からのお便りには若君の事なども認められておりますので、非道く悲しいお気持ちになられますが、いずれまた逢うこともあろう、頼りになる後見人が何人も側におられるのだもの気に病むこともあるまいと、そんな風にお考えになられるとは、むしろお子様に対しては心惑われないのでしょうか。

 それはそうと、ご出発前後のあれやこれやに取り紛れて書き忘れておりました。実はあの六条御息所へもお便りを差し上げていたのです。しかもあちらからもわざわざ御使者を遣わしてこられました。中々に深い内容でございました。撰ばれたお言葉、筆致も、他の方々と比べ格段に艶めいており、洗練されたご趣味がつぶさにうかがえるものでした。

「到底現実とは思えないような現在のお住まいについてお聞きいたしますと、明けない夜の悪夢のように思えてなりません。とは申せ、そこまで長い年月を要するとも思えませんが、こちらは伊勢にお仕えし仏道を忌む罪深い身の上、お逢いしてお話出来るとしても遥か遠い先になるでしょう。

辛さをこらえている伊勢の海人のことも忘れないでください、涙に暮れる須磨の浦で

何かにつけて悩ましいこの世の姿も、この先どう移ろってゆくのでしょうか……。」と縷々認められております。

「この伊勢島で貝を漁ろうとするけれど、一向に貝が見つけられない情けない私です」

じっくりと物事を噛みしめながら筆を置いては書きまた置いて書くを繰り返されたのでしょう、白い唐紙を四五枚ほど巻いて、墨の跡も目を見張るものがございます。

 いっ時は心奪われた方だったのに、あの生霊騒ぎでおぞましい人と思ってしまったのはあくまで私の過ち、ただ御息所もそれでほとほと嫌気がさしてとうとうお別れしてしまったのだった……、そう思えば、未だに申し訳なく恐縮されてしまうのでした。こんな折に頂いたお便りですからなおのこと胸に染み入り、御使いの者までもが愛しく思われ、二三日お側に留め置かれて、伊勢のお話などをさせて耳を傾けておられます。若く溌剌とした品のいい侍でした。なにぶんにも侘び住まいですので、このような身分の者も勢いお近くに控えることになり、ちらりと覗く御尊顔を、なんとありがたいと涙まで零して拝見いたしております。そうして認められたお返事のお言葉は、察するに余るものがございます。

「こんな風に都を離れる身とわかっていましたなら、あの時伊勢に同行すればよかった、などと思わないでもありません。あてどない日々、心細さが身に沁みます。

伊勢の人が漕ぐ小舟に乗ればよかった、こんな所で辛い想いをするなら

海人たちが重ねる嘆きの中で泣き濡れつつ、私はいつまでこの須磨を眺めることになるのやら……

再びお目もじ叶いますのはいつの日か、どこまでもお慕い申し上げております。」

などと書かれてありました。と、まぁこんな具合に、あちらの方ともこちらの方とも出来うる限り心細やかにやり取りなさっておいでです。

 花散里からも届けられた、悲しみを持て余すままに連綿とお気持ちを綴られた文から、女御、三の君それぞれのお心を推し量っておいでです、しみじみと心打たれつつもの珍しく思われて、どちらもじっくりと眺められては、物思いに誘われていらっしゃいます。

日増しに荒れてゆく我が家の軒のしのぶ草、眺めてはこの袖に忍ぶ涙がかかっております

そう認められておりました、確かに葎以外に後ろ楯もいらっしゃらないのだろうと同情され、長雨で築地が数ヶ所崩れてしまいましたと書かれてありましたので、京の家司にお命じになり、近隣の荘園の者たちを召し出して修理させるよう申し付けられました。

 朧月夜の君は、世間から嘲笑われ非道く落ち込んでおられましたが、なにせ右大臣の秘蔵っ子の姫ですから、右大臣が大后にもお上にも寛大なる御処分を切に願い上げ、行動が縛られる女御、御息所ではなく、あくまでも宮中に出仕する公人というふうに受け止め直され、またあの不謹慎な出来事から一端は出仕停止となったものの、最終的に赦されてしまわれましたから、尚更心深く染み込んだ源氏の君への想いを募らせておいでです。


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