
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なきことなり。昔の人これを忌まず。この頃、何者のいひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末通らずといひて、その日いひたりしこと、したりしこと、かなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりしことならずといふ、おろかなり。吉日を撰びてなしたるわざの、末通らぬを数へて見むも、またひとしかるべし。
その故は、無常変易のさかひ、有りと見るものも存せず、始めあることも終りなし。志は遂げず、望みは絶えず、人の心不定なり。物皆幻化なり。何事か暫くも住する。この理を知らざるなり。吉日に悪をなすに必ず凶なり、悪日に善をおこなふに、必ず吉なりといへり。吉凶は人によりて、日によらず。
翻訳
赤舌日というのは、陰陽道では問題視されない。昔の人は、この日を忌んだりしなかった。昨今、何者かが云い出して忌み始めたのか、この日に起こる事は結局うまくいかないとか云ったり、その日に口に出したこと、やったことが叶うことはなく、得たものは失う羽目になり、計画も成就しないなどと云う、まったく莫迦げている。わざわざ吉日を撰んでしたことの最終的に全うされなかった数と、そうでない日にやったことで結果成し遂げられなかった数は、そう大差ないはずだ。
理由は明白、この世は無常、常に移り変わっており、一見あるように見えるものも実は存在せず、始まりのあるものであっても終わりはない。願いは聞き届けられず、されど欲望には限りがない上に、人の心も常時移ろう。すべては幻。ひとつとしてひとつ所に片時も留まっているものはない。この道理をわきまえていない者が多過ぎる。吉日に悪行をなせばそれは定めし凶、凶日に善行をなせばすなわち必ず善である、とも云うではないか。とどのつまり、吉凶はなす人次第、日にちはまったく無関係である。
註釈
○赤舌日
しゃくぜつにち。木星(太歳)の守護神赤舌神が、六鬼に日替わりで門番をさせており、三番目の羅刹が最も凶悪なため、その日を赤舌日として忌避した。
○吉日
読みは「きちにち」。
○変易
読みは「へんやく」。
「また」ネタ二連発の直後に、この豪速球のど真ん中。
これぞ「徒然草」を読む醍醐味です。
追記
でも私、迷信ってけっこう好きだけどなー。「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」とか「くしゃみすると誰かに噂されてる」とか「風邪は移すと治る」とか。ホントにあったら愉快じゃないですか。