
陽が高くなって、お二人それぞれに参内いたしました。源氏の君が落ち着き払ってまるで何事もなかったかのようなご様子ですので、頭中将も可笑しくてたまらないのですが、たまたまその日は忙がしく、お上にご報告申し上げたりまたお上から下される事も多い一日でしたので、頭中将もいつにも増してきりりと引き締まった清々しい顔をしております、そんな各々をお互いに見合わせて微笑まれるのでした。人のいない隙を見計らって頭中将が近寄って来、「さすがに隠し事はもう懲り懲りでしょうね。」と横目でにやりといたします。「いえいえなんで懲りたりしましょう。それより忍び入ったにもかかわらずなにもかもせずに帰っていった人の方がどれほどお気の毒か。ま、それはともかくひとつ云えますのは男と女は何かと面倒なことばかりということですね。」と口々に云われ、「とこの山なる」と古今集の一首を引いて互いに口外を禁じ合うのでした。
そんなことがありましてからは、ともすると何事かある度に云い争いの種になりますので、これもひとえにあんな煩わしい婆さんと関わりあいを持ってしまったがためだと思い知らされていらっしゃることでしょう。女は依然としていたくなまめいた仕草で恨みつらみを伝えてきますが、源氏の君は困ったものだと逃げまわっておられます。頭中将はと云えば、源氏の君の北の方に当たられる妹君にも仔細を告げず、隠し玉として源氏の君をぎゃふんと云わせる時用に取っておこうと思っているようです。
貴いお妃との間にお生まれになった皇子たちですら、お上のあまりのご寵愛ぶりに遠慮され、源氏の君とは出来うる限り距離を置こうと思っておられるのに、こちらの頭中将は何かにつけて負けてなるものかと、ちょっとしたことでも対抗心を剥き出しにされるのでした。それも道理で、左大臣のお子様たちの内でこの中将と源氏の君の北の方だけが宮腹のお生まれなのです。あちらはお上の子というだけじゃないか、私だって、同じ大臣でもお上の覚えがすこぶるめでたい左大臣の子、しかも皇女から生まれ格別に大事に扱われてきたのだ、どれほど身分が劣ると云うのかとの矜持がおありなのでしょう。確かにお人柄も申し分なく整い、理想の条件をすべて兼ね備え、これといって足りないところが見当たらない方なのです。このお二人のせめぎあいから生まれた珍奇な逸話は枚挙にいとまがありません。話すと長くなりますので割愛いたしますが。
七月にはいよいよ藤壺が中宮に冊立されたようです。源氏の君も参議に昇られました。お上の譲位のご準備が粛々と進められ、この中宮よりお生まれになった若宮を東宮にとお考えになられておられるようですが、生憎後ろだてになる適当なお方がおられません、母方の縁者は全員親王です、当節は源氏が政を担う世の中ではございませんので、せめて母宮をしかるべき地位につけていざという時の備えにしようと思われておいでなのです。当然弘徽殿の女御の心中が穏やかなはずがありません。それでもお上が「近く東宮の時代が来ます、その暁には貴女は間違いなく皇太后となるのです。なんの心配もありませんよ。」と仰います。事実、二十年以上東宮の母君として聞こえた女御を差し置かれ、通り越して別の方を中宮にお立てするのは無理があると、いつものように口さがない世間はさも不穏な事と申しております。
夜、中宮が参内なさいますお供として、参議となられた源氏の君も控えております。中宮は中宮でも、こちらの新しい中宮は先帝のしかも妃腹の皇女です、玉のごとく光輝いておられます上に、今やお上のご寵愛を独り占めなさっておられますので、皆々ことのほか尊崇の念をもってご奉仕いたしております。とりわけ鬱々としたお気持ちを抱えられる宰相源氏の君は、御輿の内のお方への想いが募られ、いよいよ手の届かない所へ行ってしまわれるような絶望感から、気もそぞろで懊悩煩悶されておられます。
果てしない心の闇でいっそう昏れてゆく、雲の上の人になられた方を見るにつけ
とだけ独り言のように呟かれ、世を儚んでおられます。
若宮はお育ちになる月日に従い、源氏の君と見分けがつかないほど似てこられました、中宮は胸が苦しくなられるばかりですが、おそらく何方もお気付きになっておられないはずです。まったくどう作り替えたら、源氏の君と負けず劣らずのお顔が生まれると云うのでしょう。さながら月と太陽が同じ空にあるようなものだと人々が噂しております。
●編集後記●
〇藤壺
光源氏の父・桐壺帝の妻。光源氏との子を出産する。〇弘徽殿女御
桐壺帝の最初の妻。桐壺帝の寵愛を受ける藤壺に嫉妬し、出産時に呪いをかける。〇源典侍
色気のある老女。頭中将と関係があるが、光源氏にも迫り、ひと悶着起こる。女性関係が入り乱れている章ですが、最初に出てくる美しい舞の描写が好きです。
店主が配役した、平野紫耀さんの光源氏と、斎藤工さんの頭中将での舞……画面の前で大興奮のシーンになりそうです。店主曰く、「源氏物語の中でほぼ唯一の悪役」である弘徽殿女御。
光源氏の母・桐壺を死に至らしめ、今回は藤壺を呪い殺そうとするなんて、本当に怖い女性です。
店主の配役では、中村七之助さん。
美しくお化粧をした中村七之助さんの艶と気迫。
ぜひ見てみたい!