
月日は無情に過ぎてゆきます、あわただしく御法事を執り行われますが、なにぶんにも突然の出来事でしたので、悲しみは尽きることがありません。取り柄のひとつもない不肖の子であっても、こんな事態に陥ったなら親はどう思うでしょう。ましてや源氏の君の北の方だった姫ですから、当然のことと申せましょう。それに加え、姫君がお一人しかいらっしゃらないのをことのほか物足りなく思っておられたのですから、秘蔵の玉が砕け散るより憔悴されておられるのです。
大将源氏の君は、仮にも二条院にすら帰られず、ただただ哀惜の念を募らせて嘆かれており、故人の冥福を祈るお勤めを欠かすことなく念入りになさりながら、日々を送っておられます。あちらこちらの方々へは、お手紙のみでお済ましになられております。
方やあの御息所は、斎宮が宮中の左衛門府にあります初斎院に入られまして、なおいっそうの潔斎を口実に一切お便りもなさいません。源氏の君はすっかり俗世のらゆることを疎ましいものとお考えになり、このような足手まといさえ産まれていなければ、いっそずっと願っていた出家でもしようかと思われますが、そんな時に限って二条院の西の対にいらっしゃる姫の、心細がって淋しがるお顔が目に浮かんでしまわれるのでした。
夜は几帳の内の御帳台でお一人でお休みになられます、宿直の者がお側近くに控えておりますが、やはり独り寝はお寂しいらしく、『時しもあれ』とつい何度も目覚められてしまいますので、美声の僧を選りすぐってお召しになります、とは云え明け方の念仏にはいたく耐え難い思いをなさっておられるようです。
深まりゆく秋の情緒に趣を添える風の音が、こんなにも身に染みるのかと、馴れぬ独り寝のまま、まだ明け切らない霧に煙った早朝、咲かんとする菊のひと枝に濃い青鈍色の文が認められた紙を附けて置き去った者の姿がありました。洒落たことをするなぁと手に取られてご覧になられますと、他ならぬ御息所からの文でございました。
「お便りを差し上げなかった間の私の気持ち、お察しいただけておりますでしょうか。
人の世は無常と聞いておりますけれど、菊の露ではございませんが残され涙にくれる貴方のお袖を推し量っております。
ただ今の空を見上げていてつい想いが溢れてしまいました。」と認められております。いつにも増してしなやかに書かれているなと、さすがに打遣ることも出来かねておられますけれど、なんと見え透いた空々しいお悔やみかとお顔をしかめられます。とは云うものの、すっぱり縁を切ってお返事をしないのも一寸心が傷むし、お立場を考えれば失礼にもあたるしとあれこれ思い惑われておられます。亡くなった方は、それはそれでそういう宿命だったのかもしれないが、なぜ私はああいう忌まわしいことをつぶさに見てしまったのだろうと悔やまれてならないのは、畢竟ご自身のお心ながら、御息所に対するお気持ちを改めることがお出来になれないからでしょうか。
斎宮の御潔斎の期間はさすがに遠慮した方がよいだろう、などとずっと思案なさっておいでだったのですが、こうしてわざわざ遣わされたお手紙にお返事をしないのも薄情過ぎやしないかと鈍色に近い紫の紙に、
甚だご無沙汰いたしておりますのは、決して軽んじないがしろにしているわけではございませんが、喪に服しておりますことはではどうやらご存じとうかがい知れました、ということで、
この世に留まるの身も消えた身も所詮同じ露の世に生きる者、そこに執着するのは空しいことです
拘り続けるのも結構ですが、一方では捨て去った方がよろしいかとも存じます。この手紙はおそらくご覧になられないでしょう、何方も。
と認めて差し上げました。
御息所は六条の御自邸におられましたので、隠れるようにして読まれたのですが、生き霊となった件を源氏の君が仄めかしておられる気配がひしひしと感じられて、良心の呵責に苛まれた挙げ句はっきりと理解され、やはりそうであったかと覚らされるのはきっと胸が張り裂けそうなお気持ちであったことでしょう。やはり自分はどこまでも惨めな罪深い身の上であった、こんなみっともない話が広まって、仮にもお上のお耳に届いたりしたらどう思われるであろう、亡くなられた東宮はお上と同腹というばかりでなく、中でも一等お親しく、この斎宮の将来についても細々としたことまで書き残しておかれたので、お上も「亡き東宮の代わりにずっとお世話してあげましょう。」などと常々仰っておられ、「このまま宮中でお暮らしになられては。」と幾度となくお誘いを受けたものの、さすがにそれは人輪にもとるとお断り申し上げたのに、そのくせこんな年甲斐もない若者じみた色恋に血道をあげ、とうとう汚名まで流す羽目となってしまった……、と果てしなく思い悩まれ、今もって平常心を取り戻されておりません。
とは申しましても、御息所はお普段の暮らしぶりが、いたって垢抜けて素敵だともっぱらの評判で、その点におかれましては以前よりお名前が轟いておりますから、左衛門府より野宮にお移りになられる際にも、気の利いた趣向をふんだんに凝らされます、殿上人の趣味人達は、朝に夕にわざわざ露を踏み分けて野宮詣でをするのが一種の仕事とまでなっているとの噂を聞き及ばれますと、大将源氏の君は、当然だろうな、あの方の抜きん出たご趣味のよさは根っからのもの、それがこの世を儚んで伊勢くんだりまで落ちてゆかれた日にはさぞかし物足りなく思われるに違いないと、さすがに感心されておられました。