【徒然草 現代語訳】第十一段


神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

神無月の比、来栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏みわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる筧のしづくならでは、つゆおとなふ物なし。閼伽棚に菊、紅葉など折り散らしたる、さすがにすむ人のあればなるべし。

かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしくかこひたりしこそ、すこしことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

翻訳

十月のとある日、来栖野を越えたところの、さる山里に人を訪う用事がございました折のこと、延々と続く苔むした細い道を踏み分け辿っていった先に、寄る辺ない気配で住まわっている庵があるのでした。すっかり落ち葉に埋もれた筧の滴のほかは、音するものとてありません。閼伽棚に菊や紅葉を手折って散らしているのは、いかに閑散としていようとやはり住人がいるからに相違ないのです。

住みようによってはこんな風に住むこともできるのだな、と感じ入って眺めているうちに、向こう側の庭に、柑子の大木の、たわわに実をつけているのが目にとまり、さらにその周囲を厳重に囲っているのが見えたので、いささか白けてしまい、この木さえなけりゃなぁと残念に思ったことでした。

註釈

○閼伽棚(あかだな)
閼伽は梵語で水。仏さまにお供えする水や花を置く棚のこと。

○柑子(こうじ)
蜜柑。


第十一段は、試験に出題されることもあるので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
兼好十八番のあら探しの段。当然またしても「侍る」です。
オチを鑑み、皮肉たっぷりに丁寧語で訳してみました。

今の世の中は逆、ことさらに悪(バカ)ぶって炎上を売りにし、時折ふ~んこんな非道い人もたまにいいことするんだなとか、へーこんな面もあったのか、と思わせる手法で生きている人がほとんどですね。
兼好法師が生きてたら、なんて云うかな。


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