
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
悲田院の堯蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、さうなき武者なり。故郷の人の来りて物語すとて、あづまこそ、いひつる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なしといひしを、聖、それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しく住みて、なれて見侍るに、人の心おとれりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに、情ある故に、人のいふほどのこと、けやけくいなびがたくて、萬えいひはなたず、心よわくことうけしつ。偽りせむとは思はねど、ともしくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。あづま人は、わがかたなれど、げには心の色なく情おくれ、ひとへにすぐよかなるものなれば、はじめよりいなといひてやみぬ。にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかしとことわられ侍りしこそ、このひじり、聲うちゆがみ、あらあらしくて、聖教のこまやかなることわり、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言の後、心にくくなりて、多かるなかに寺をも住持せらるるは、かくやはらぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。
翻訳
悲田院の堯蓮上人は、出家前は三浦某という名前で、剛勇無双の武士であった。同郷の坂東人がやって来て話に花が咲いたついでに、東国人の云うことはまず信頼に足る。都の人は、お返事ばかりよくて、どうも誠がない、と云ったのに対し、上人は、貴方がそう思われるのはわからんでもありませんが、私のように都に長年住み慣れた者の目で見ますと、あながち人の心が劣っているとは思えません。都人は、一体に心が柔和で情に篤いため、人から何か云われても言下に一蹴出来ず、なんにつけ断言を避ける傾向があり、それゆえついつい弱気に受け答えしてしまうのです。謀るつもりなぞ毛頭ないのに、手元不如意な思うにまかせられない人ばかりなので、勢い不本意な成り行きとなってしまうことがままあるようです。方や坂東人は、これは私の生まれ故郷でもあるのですが、正直、心に襞がなくあけすけで、もっぱら真っ直ぐを身上としているがため、はなからダメなものはダメ!とはっきりしているんですよ。もっとも坂東には富める者が多いので、その点では頼りにされてしまうんですよね、こう諄諄と道理を説かれた、この上人、坂東訛りが非道く、胴間声で、こんな人が仏の教えの奥深さなぞわきまえているのかしらんと不審に思っていたが、このやり取りの後、この上人を見る目が変わり、とにもかくにも坊主だらけのこの都で、寺を任せられている僧侶であられるのは、かくのごとく優しいお心映えがおありで、それ相応の徳も兼ね備えておられるからなのだろうなと感服した次第です。
註釈
○悲田院
ひでんいん。病人、孤児の収容寺院。
○堯蓮上人
ぎょうれんしょうにん。伝不詳。
○けやけく
尋常ではない様。もしくは、きっぱりと。
○聖教
読みは「しょうぎょう」。
「仁和寺にある法師」と並んで、よく参考書に採用される有名な段です。
まぁ、まとまりはいいですね。
こんな立派な方なのに、詳細がつまびらかでないのは、昔の「よき人」は奥ゆかしく、名を残そうなぞとは思っていなかったからでしょうね。
追記
ご存じでしたか?この頃(鎌倉時代末期)すでに、関東の方が富裕層が多かったんですよ。地方格差、格差社会なんて、700年前から歴然とあるんです。格差のある土壌こそが、豊かな文学、文芸を育んできたとも云えます。格差社会をなくそうなどと(空しい)血道をあげる代わりに、心にしろ身にしろ富めるものはせっせと施せばいいのですし、心にしろ身にしろ貧しい者は身の程をわきまえそれをありがたく享受すればいいだけのことです。