
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
明雲座主、相者に逢ひ給ひて、おのれ若し兵杖の難やあると尋ね給ひければ、相人、誠にその相おはしますと申す。いかなる相ぞと尋ね給ひければ、傷害のおそれおはしますまじき御身にて、かりにもかくおぼしよりてたづね給ふ、これ既にそのあやぶみのきざしなりと申しけり。はたして矢にあたりて失せ給ひにけり。
翻訳
明雲座主が、人相見と相対し、私にもひょっとして剣難の相があったりするだろうかとお尋ねになられたところ、人相見は、はい、まさにその相が出ておりますと答えた。どのような相なのだ?と重ねて問われましたら、危害を加えられる恐れなぞあるはずもない御身でありながら、戯れにもそのような思いつきをなされお尋ねになられた、そのことが既が災難の兆候なのでございます、と申し上げた。果たせるかな、明雲座主は後に流れ矢に当たって命を落とされたという。
註釈
○明雲座主
めいうん。みょううん、とも。第五十五代、並びに五十七代天台座主。太政大臣久我雅實の孫。清盛、慈円の戒師。法性寺合戦の際、木曽義仲軍の放ったに流れ矢に当たり落馬して寂。
○兵杖
ひょうじょう。実際の戦で使う武器の類い。
人相見ネタ第二弾。
約4500年前には既に古代中国にあった人相見は、平安時代に相書と呼ばれる指南書がもたらされました。
和書として人相術の本が初めて書かれたのは室町時代ですから、「徒然草」の時代には、ようやく世間に広まってきていたと思われます。