
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。いつも獨りずみにてなど聞くこそ、心にくけれ、誰がしが婿になりぬとも、また、如何なる女を取りすゑて、相住むなど聞きつれば、無下に心おとりせらるるわざなり。ことなることなき女を、よしと思ひ定めてこそそひたらめと、賤しくもおしはかられ、よき女ならば、この男をぞ、らうたくして、あが佛とまもりゐぬらめ、たとへば、さばかりにこそと覺えぬべし。まして家のうちをおこなひをさめたる女、いと口をし。子など出できて、かしづき愛したる、心うし。男なくなりて後、尼になりて年よりたるありさま、なき跡まであさまし。
いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく、にくかりなむ。女のためにも半空にこそならめ。よそながら、ときどき通ひすまむこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ。あからさまにきて、泊りゐなどせむは、めづらしかりぬべし。
翻訳
妻なんぞというものは、まかり間違っても男が持っちゃいけないものである。「いつも独り住みでして…」などと聞くと、なんて物の分かった方であろうと感心してしまうし、一方で「誰それの婿になりました」とか「これこれこういう女を引き入れて一緒に住んでおります」などと耳にすれば、ガックリきてついその男を蔑んでしまう。たいしていい女でもあるまいし、その程度の女に惚れ込んで同棲しとるとは品がないなぁと勘繰ってしまい、仮にとびきりの女であったとしても、さぞその男はねぶるように可愛いがっておるのだろう、さしずめ観音様とでも思っておるに相違ない、喩えて云うならそんなとこだと、そう見切られるのが落ちだ。ましてや家事を切り盛りしている女ときたら、見られたもんじゃない。そのうちガキが生まれ、溺愛している様は、もう目も当てられない。しかも亭主が死んで尼さんになり老いさらばえた姿にいたっては、死んだ旦那の名折れとなるほどの恥さらしだ。
どんな女だろうと、四六時中顔を合わせていたら、見飽きもするし、ムカつくこともある。そうなってしまえば、女にとっても宙ぶらりん、立場もさぞあふやになろうというものだ。お互い別々に暮らし、たまに逢ってひと時を過ごすのが、飽きがこず長続きするコツなんじゃなかろうか。ふらっとやって来ては流れで泊まってゆく、そういうのが新鮮でいいと思う。
註釈
○妻
読みは「め」。
○男
読みは「おのこ」
○半空
中途半端。
○あからさまに
古語の「あからさまに」は、「不意に」もしくは「唐突に」。
痛快痛快。
分別ある大人は、こういう段読んで女性蔑視だ!とか思っちゃいけませんよ。
追記
よく読めば、どこかしら潔癖症なとこがそこはかとなく感じられ、何度読んでも好感が持てる段です。